アヴェロエス主義者とフランシスコ会士の対立

Two Aristotelians of the Italian Renaissance: Nicoletto Vernia and Agostino Nifo (Variorum Collected Studies)

Two Aristotelians of the Italian Renaissance: Nicoletto Vernia and Agostino Nifo (Variorum Collected Studies)

  • Edward Mahoney, "Antonio Trombetta and Agostino Nifo on Averroes and Intelligible Species: A Philosophical Dispute at the University of Padua," repr. as a reset version in Mahoney, Two Aristotelians of the Italian Renaissance, article IX.

 1500年代終盤のパドヴァ大学におけるアヴェロエス解釈をめぐる対立を扱った論文です。パドヴァ大学で哲学を教授していたアゴスティノ・ニフォ(ca. 1470–1538)は1497年、27歳にしてアヴェロエスの『矛盾の矛盾』への注釈書を出版します。そこで彼はアヴェロエスを理想のアリストテレス解釈者とみなし、「アリストテレスの神官」「[別の時代に]移しかえられたアリストテレス」と呼びました。対照的に彼はフランシスコ会士たちを厳しく批判しました。彼らは論理学の研究をおこたり、すべてを形而上学に帰着させようとしている(まるでピュタゴラス派がすべてを数に帰着させようとしたように)ことから誤りを犯しているとされます。

 ニフォによれば、アリストテレスアヴェロエスはあらゆる人間に共通の一つの知性があるという点で見解を一致させています。ニフォは個々の人間の霊魂の不死性を否定するような信仰に反する見解は誤りであるとしりぞけていたものの、同時にそのことは人間の理性によっては証明することができないとしていました。彼はまた人間の知性認識のさいには、受動知性は外界からいかなる影響も受けることはないとしました。人間による知識の獲得というのは、不変の知性に対してある人が取り結ぶ関係が変化することによって起こるのであって、その関係の変化により知性の側が何らかの変化をこうむることはありえないという見解です。

 これにたいしてパドヴァ大学スコトゥス主義形而上学の教授をしていたアントニオ・トロンベッタ(1436–1517)が反論を加えます。彼が序文で述べていることによれば、知性単一説というキリスト教と相容れない誤った学説がパドヴァをはじめ各地で広まっている。これを広めている者たちはいわばアヴェロエス主義という墓におのれの身を埋めているようなものだ。自分の著作が彼らを復活へと導くことができたらよい、とのことでした。彼はニフォの知性認識理解に対抗して、人間の認識は能動知性が普遍概念(知的形象)をつくりだし、それを受動知性が受容することにより可能になるとアヴェロエスは考えていたと主張しました。ここから分かるように、彼は単純にアヴェロエスを否定しようとしていたのではなくて、アヴェロエスの(彼が考えるところの)正しい解釈を示すことで、若くて人気を集めていたニフォによるフランシスコ会批判を封じようとしたのです。アヴェロエス主義と反アヴェロエス主義という枠組みではとらえきれない複雑な対立の様相が1500年頃のパドヴァ大学で出現していたことをうかがうことができます。