ユリウス・カエサル・スカリゲル年譜

  • 1484年 パドヴァで生まれ、Giulio Bordone(あるいはBordoniとして)という名をつけられる。父は細密画家であるべネデット・ボルドニ(Benedetto Bordoni)。
  • 16世紀の初頭 ヴェネツィアに移る。
  • 1508年頃 アルドゥス印刷所と関わりを持つようになる。同所でエラスムスに会う(あるいは彼を目撃する)。またヴェネツィアフランシスコ会修道院に入った可能性がある。
  • 1509年から14年 この期間軍役に従事した可能性がある。
  • 1516年 Tabulae scoticae subtilitatisという著作の冒頭に詩が掲載される。
  • 1519年 パドヴァ大学で学芸学部の学位を取得する。
  • 1520年 パドヴァ大学の論理学のポストを提供されるが受諾せず。
  • 1521年 ヴェネツィアに滞在していることが確認されている。
  • 1525年 ヴェネツィアプルタルコスの『列伝』のいくつかの章の翻訳を出版する。
  • 1526年 ロヴェレ家のアントニオの侍医として南仏の町アジャンに移る。当初は8日以内にイタリアに戻るつもりであった。しかし当地で当時13歳のAndietteと出会うことで、アジャンにとどまり彼女に求婚することにする。
  • 1528年3月 フランス国籍を取得。許可証にはJulius Caesar de Lescalle de Bordomsという名前が掲載されている。
  • 1529年4月3日 Andietteと結婚する。
  • 1531年 エラスムスを批判する書物を出版する。同書は1529年に書き上げられていた。
  • 1532年から33年 アジャンの領事を務める。
  • 1533年 エピグラム集を出版する。
  • 1534年 詩集Lacrymaeを出版する。
  • 1535年 詩集Nemesisを出版する。
  • 1537年 エラスムス批判作品の続編を出版する。同書は1535年に書き上げられていた。
  • 1538年、アジャンで開かれた異端審問で、煉獄を否定したなどの嫌疑がかかるが無罪。アリストテレス『動物誌』の翻訳と注解を完成させる。息子の死を悼む演説を出版する。
  • 1539年 ヒポクラテス文書『夢について』の注解を出版する。
  • 1539年 詩集Heroesを出版する。喜劇の韻律についての著作を出版する。
  • 1540年 『ラテン語の原因について』を出版する。
  • 1546年 Guilhelmus Lapidanusの著作に書簡形式の序文を寄せる。詩集Poematiaを出版する。
  • 1548年1月16日から49年まで マルグリット・ド・ナヴァルの侍医になる。
  • 1556年 『植物について』を出版する。
  • 1557年 『顕教的演習』を出版する。同書は1554年に書き上げられていた。
  • 1558年10月21日金曜日 痛風のため病死。
  • 1561年 『詩論』が出版される。
  • 1566年 テオフラストゥス『植物原因論』の注解が出版される。
  • 1573年 詩集が出版される。
  • 1574年 詩集が出版される。
  • 1584年 テオフラストゥス『植物原因論』への注記が出版される。アリストテレス『動物論』第10巻の翻訳、注解が出版される。
  • 1600年 書簡・演説集が出版される。
  • 1619年 アリストテレス『動物論』翻訳、注解が出版される。