- 「パドヴァの伝統におけるポンポナッツィの位置」John Herman Randall, Jr., "The Place of Pomponazzi in the Padua Tradition," in Randall, The School of Padua and the Emergence of Modern Science (Padua: Antenore, 1961), 69–114.
パドヴァのアリストテレス主義を論じた最も基本的な文献です。あらためて読んでみると、(たぶん)カッシーラーから引き継いでいる「実体から関数(ファンクション)へ」という歴史観が基調を構成していることに気がつかされます。知性単一説というのは可能知性が知の根拠として不変で単一のものとして存在すると考えるものであって、これはプラトンのイデア論に近いです。このように知の獲得を実体としての知性へのアクセスから説明する議論をポンポナッツィが転換させました。知というものは能動知性がつくりだす普遍概念(知的形象)を可能知性が受動する過程で獲得されるものだとされます。ここでは個々の人間を超えた実体の役割が縮減されています。この傾向が頂点をむかえるのがザバレラの哲学でした。彼が考えるに、普遍概念を感覚印象から生み出すのは可能知性の役割です。能動知性が行うのはその前段階、すなわち雑多な感覚印象を人間に理解可能なものとして各々区别されたものにすることとされます。ここに至って能動知性のような上位の存在は単に世界の認識可能性を担保しているだけの存在となり、実質的な認識過程はすべて人間が有する知性の機能によって担われることになりました。
この図式をいま受け入れる人は少ないでしょう。しかしヴェルニアの知性単一説からポンポナッツィの霊魂可死説までをどう記述すればよいかという課題はいぜん解決されていないように思えます。
メモ
- 知性単一説のプラトン主義的傾向について78–90頁。
- ポンポナッツィは1521年のDe nutritioneでは知性の分割可能性も認めている(101頁)。