初期近代の機械論哲学

The Oxford Handbook of Philosophy in Early Modern Europe (Oxford Handbooks)

The Oxford Handbook of Philosophy in Early Modern Europe (Oxford Handbooks)

  • Helen Hattab, "The Mechanical Philosophy," in The Oxford Handbook of Philosophy in Early Modern Europe, ed. Desmond M. Clarke and Chatherine Wilson (Oxford: Oxford University Press, 2011), 71–95.

 初期近代哲学史の最新の概説書から「機械論哲学」と題された章を読みました。一口で機械論哲学といっても、その提唱者として誰を含めるかには議論があるところでしょう。またそうやって選ばれた人物たちの機械論のとらえかたというのも相互に異なったものでした。したがってアリストテレス主義がその内部にある多様性から、複数のアリストテレス主義と言われるようになったのと同じように、機械論哲学もまた複数の機械論哲学として論じられた方がよいのかもしれません。たとえば物質を厳密に延長に還元するという点でホッブズは典型的な機械論者と言えます。しかし彼は機械論のもう一つの典型的特徴とみなされている現象の数学的記述を目指してはいませんでした。反対にデカルトは数学的記述、というか現象の数学的証明を強く志向していました。しかし彼の衝突の法則は間違いだらけであり、個々の現象の説明も可視的な現象から引き出された説明を不可視世界に適用するという非常に粗く、また時に思弁的なものでした。ライプニッツが物理学の領域では機械論のモデルを用いながら、生命現象(たとえば知覚)を説明するときにはそれでは不十分だと考えたのも納得がいくところです。デカルト盟友メルセンヌもまたデカルトとは異なる意味合いで機械論を指示していました。彼が世界をひとつの機械と見たのは、それがより深く自然の本性を明らかにするからというよりもむしろ、そう考えたほうが有用であるからというものでした。またニュートンが『プリンキピア』のなかで使う「機械的」証明というのは、(デカルトのように)現象を物質の接触のみから説明しようというものではありませんでした(万有引力接触なしにはたらく)。デカルトの機械論モデルを使って生命現象(筋肉の動き)を説明しようとした者のあいだでも、機械論的説明はデカルトの体系に依拠してのみ意味を持つ説明なのか、それともデカルトに限定されない他の同程度に蓋然性のある哲学体系の上でも妥当性を持つものであるかについて議論がありました。実際機械論的哲学の第一の提唱者と考えられているボイルもまた絶対的に機械論にコミットしていたわけではありません。むしろ彼はそれを一つの極めて有力な仮説とみなしていました。だから彼は多くの場面で厳密な意味で定式化された機械論からすれば十分ではないような説明方式で満足することができたのです。同じくロックも機械論は極めて有望でありながら、しかしひとつの仮説でしかないと考えていました。ボイルはいずれは現在機械論的に説明できない現象も将来的には説明可能になるだろうと考えており、この考えはのちの科学的探求を推進することになります。逆にロックは人間が自然について十全な知を得ることが出来るかについて悲観的であり、この展望がイギリス経験主義を特徴づける懐疑論的な傾向性を強めることになりました。