ボイルのジレンマ 機械論か種子原理か Anstey, "Boyle on Seminal Principles"

 ロバート・ボイル研究史のうちで重要な位置をしめるのがAntonio Clericuzioによる1990年の論文である。「ボイルの化学と粒子哲学の再定義」と題された論考のなかでClericuzioは機械論哲学の提唱者であるボイルが、じつは化学物質の性質を粒子の形、大きさ、位置からは導きだしていなかったり、事物の生成を説明するときに種子原理(seminal principles)といった非機械論的な要素を導入していたりすることを指摘した。したがってボイルをデカルト流の厳密な機械論を支持した人物ととらえることはできない。こうClericuzioは主張した。この論文はこのうち後者の種子原理に着目するものだ。ボイルがいかなる局面でどのように種子原理を導入しているか(あるいはしていないか)を見ることで、ボイルが機械論と種子原理との関係をどうとらえていたかをより精密に理解しようとする。

 ボイルが種子原理を導入する局面はおおきく分けて4つある。一つは世界の生成を論じるときだ。ボイルはそこでエピクロス流の世界が原子の偶然の衝突から生みだされたという説をしりぞけようとする。むしろ世界のはじまりの時点で一定の粒子が集合させられ、それに種子原理があたえられたと考えるべきというのだ。この集合や種子原理を司った知的存在がとして神が想定されねばならない。エピクロスの神は世界にかかわらないという学説は否定される。ボイルはさらに聖書解釈にまで踏みこむ。「創世記」冒頭にある「闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」という文言に着目し、このときに神の霊が水に対して種子原理をあたえたというのである。しかし後年になると聖書解釈が変化し、むしろ神が最初に動植物をつくったときに、それらに種子原理が与えられたのだとボイルは考えるようになる。

 どちらの解釈をとるにせよ、神による創造により種子原理が植物の種子や動物の精液のなかに含まれることになった。種子や精液から動植物が形成されるのはそのためである。この立場をボイルは一貫して崩さなかった。見解に変化がみられるのはいわゆる自然発生の問題に関してである。その経歴の初期においては、ボイルは腐った肉や腐敗した水に種子原理が含まれている場合、それをもとにして動植物が生まれると考えていた。しかしフランチェスコ・レディの実験により、自然発生の信ぴょう性が失われはじめたことにより、ボイルもまたすべての動植物の発生は両性の生殖行動によるものだと考えるようになる。

 ボイルにとって難題であったのは鉱物の生成に種子原理がかかわるかどうかであった。ボイルは少なくとも1660年代までは鉱物生成には種子原理が必要であるという議論に相当の説得力を感じていた。しかしそれ以後、鉱物であれば種子原理は必要ではなく、むしろ発酵とにたプロセスによって形成されうるのではないかと考えるようになった。しかしその時点でもなお、ボイルは種子原理がある種の鉱物の形成に必要かもしれないということを否定することはなかった。

 以上をみるに、ボイルは動植物の発生には種子原理が必要であることは生涯一貫して認めていた。動植物の組成はあまりに複雑で、そこには特殊な原理が関与していると考えねばならないと彼には感じられたのである。他方鉱物は機械論の限界の周辺にあったようだ。動植物より複雑性が落ちる鉱物ならば、種子原理は必要なく、発酵のような機械論的な説明で事足りるのではないかという考えにボイルは傾いていた。

 では種子原理とはいったい何なのか。まずボイルは種子原理が生みだす効果は純粋に機械論的なものであると確信していた。それはあくまでも物質に働きかけて有機体や(もしかすると)鉱物を形成する。ではその効果の原因そのものは何なのか。ここでボイルの説明は分裂する。あるところではボイルは種子原理はその作用を「それ自体の本性、ないしは組成からうけとるのであり、職人[the Artificer 神?]から受けとるのではない」と述べている。種子原理も機械論的に説明できるというわけだ。しかしだとすると、そもそもなぜ他の自然現象特別して、動植物の生成のさいに特別に種子原理を導入する必要があるのか不明となる。もう一つのボイルの答えは、種子原理が何であるかは自分にはわからないというものであった。しかしこのわからないものが機械論的に説明できないとなれば、彼の機械論の土台が揺らぐのではないか。

 自らが奉じる機械論の原則と自然の複雑性が要請してくる種子原理のあいだでボイルは自己矛盾に陥っていた。彼が抱えていたジレンマは次のようなものだ。もし機械論の要請に忠実に種子原理を機械論的に説明してしまえば、そもそもそれをなぜ導入したのかがわからなくなる。だがそこでもし種子原理がなにかわからないとし、それが非機械論的な原理である可能性を認めてしまえば、自らが奉じる機械論・粒子論の妥当性を揺るがせてしまう。Clericuzioのように、ボイルが種子原理という非機械論的原理を導入したと考えるよりも、むしろこのジレンマにとらわれそれをけっきょくは解消できなかった人物としてボイルを描くことが、より歴史の実像を捉えていると著者は結論づけるのであった。