宇宙誌の多様性

 宇宙誌という言葉があります。英語ではcosmographyです。これは何を意味していたのでしょう。あのヨハネス・ケプラーのデビュー作が『宇宙誌の神秘 Mysterium cosmographicum』であったことを考え合わせるなら、この問に答えておいて損はないはずです。そこで16世紀において宇宙誌の営みとはどのようなものであったのかを調べた論文を読みました。

  • Adam Mosley, "The Cosmographer's Role in the Sixteenth Century: A Preliminary Survey," Archives internationales d'histoire des sciences 59 (2009): 423–39.

 宇宙誌という単語は古代末期に使用されていたことが確認されているものの、中世ではほとんど使われることがありませんでした。それが再び使われるようになるのは1400年代の前半にプトレマイオスの著作が翻訳されて以降です。この著作はギリシア語では地理学を意味する表題が付いていました。しかし訳者のアンジェロのヤコブは、この表題のラテン語訳には宇宙誌という単語がふさわしいと主張しました。プトレマイオスの地球についての記述は彼の天文学理論を基礎にしているからです。

 こうして宇宙誌という領域は天文学と強く結びついた領域となりました。1500年代には天球を基礎にした天文学のテキストの表題に宇宙誌という言葉が頻用されるようになります。これらの作品は基本的に天文学を主題にしたものなので、それほど地理上の情報は含んでいませんでした。著者たちの多くは自らを数学者と自認しており、宇宙誌は数学(ここに天文学も含まれる)の一分野として考えられていました。

 しかし宇宙誌のすべてが数学的(天文学的)であったわけではありません。セバスティアン・ミュンツァーが1544年に出してその後も改訂が続けられた『宇宙誌』は天文学的な知見を地上に適用するだけでなく、歴史、自然誌、そしてアナクロニスティックな用語を使えば民俗学的な知見を多く含んでいました。たとえば地域の川、山、地震、かつて起こった戦争や王たちの系譜、(そして遠くの土地に関してはそこでの)食人習慣等についての記載がありました。ミュンツァーはこれらの情報を書物だけでなく書簡のやりとりによっても収集していました。

 イベリア半島での宇宙誌はスペイン、ポルトガルの地理上の征服活動と密接に関連していました。そこでは宇宙誌家というのは国家によって認可され雇われて、地図や器具を製作し、船乗りの訓練を行いました。理論的知識よりも実践を重んじる船乗りたちと、数学(天文学)の知識に基づく理論的知こそが航行の実践を正確なものにする宇宙誌家たちの対立が生じました。最終的には後者が勝利し、宇宙誌教授職がスペインの貿易部門に設けられました。スペインとポルトガル以外にもたとえばヴェネツィアでは議員たちの教育や地図製作に当たる人物が宇宙誌家の称号をえています。宇宙誌たちには海洋国家の活動を補佐する役割を与えられていたのです。

 この他には宮廷に仕えた人物が宇宙誌家と言われました。たとえばコジモ・ディ・メディチに仕えたイグナチオ・ダンティは主に地図製作に携わっていました。メルカトル図法で有名なメルカトルもまた宇宙誌家の肩書きでパトロンからの庇護を得ていました。しかし彼の関心は地図製作をはるかに超えており、天体の運行の記述、その地上への影響、地球の地理情報の描写、人間の歴史年代・系譜の創造の時から記述というような野心的なプログラムが構想されていました。この中には霊魂、生成消滅の問題なども論じられており、もはや自然哲学と宇宙誌の区別は難しくなっていました。この壮大な構想が未完に終わったのも無理はありません。

 以上から分かるとおり宇宙誌は天や地を記述すること、測量、機器製作、航行を実践すること、地図を描くことをを包摂した領域でした。しかしこれらが同時に一人の人間に縁って実践されるというわけではなく、むしろ時と場所に依存して何が宇宙誌となるかは変化しました。この意味で宇宙誌というのは単一の活動ではなく、多様な活動であり、これを理解するための個別的事例のさらなる探求が必要となるとされます。

関連書籍

Mapmakers of the Sixteenth Century & Their Maps

Mapmakers of the Sixteenth Century & Their Maps

The Cosmographia of Sebastian Muenster: Describing the World in the Reformation (St Andrews Studies in Reformation History)

The Cosmographia of Sebastian Muenster: Describing the World in the Reformation (St Andrews Studies in Reformation History)

Secret Science: Spanish Cosmography and the New World

Secret Science: Spanish Cosmography and the New World

The Marvel of Maps: Art, Cartography, and Politics in Renaissance Italy

The Marvel of Maps: Art, Cartography, and Politics in Renaissance Italy