メランヒトンにおける社会秩序と天文学 Methuen, "The Role of the Heavens in the Thought of Philip Melanchthon"

  • Charlotte Methuen, "The Role of the Heavens in the Thought of Philip Melanchthon," Journal of the History of Ideas 57 (1996): 385–403.

 フィリップ・メランヒトン天文学を重要視した理由を検討する論文である。メランヒトンはその経歴の初期から算術、幾何学天文学、音楽の教育を重視していた。それらの分野の実用性ゆえというよりもむしろ、それらが哲学教育の基礎となると考えたからだ。1520年台の中盤以降には農民戦争に代表されるような政治秩序の危機がドイツをおおっていた。これに教育者として対処するためにメランヒトンが考えたのが、哲学を教えることで論理的に秩序だった思考を学生に身につけさせ、そこから市民としての従順さと倫理的な生き方が培われることだった。このとき論理的で秩序だった構成をもつ算術や幾何学が、哲学教育の入り口として重要視されることになる。

 政治的危機への処方箋としての哲学の役割はもうひとつあった。自然世界にある秩序をあきらかにすることである。自然世界にみられる秩序は神が命じたものである。この自然秩序をモデルとして人間社会も秩序だてられることを神は望んでいる。だから社会には秩序がなければならない。このようなロジックの要として機能したのが天文学である。神が創造した天体に規則的な運行がみられるのは、それがおよそ秩序のモデルとみなされるべきということである。また天の諸天体から地上への影響を吟味する占星術からは、神の意志をうかがうことができる。これに加えて明言こそしていないものの、メランヒトンは天を堕落以前の純粋な状態にある領域とみなしていたようだ。だからこそ堕落して救いのためには福音が必要になった人間が、神の計画や意志(つまり摂理)をうかがうための有力な手がかりとして天は機能する。なお神の似姿としてつくられたという観点から人体もまた神の摂理を知るための有効な場所とされた。ここから解剖学の重視が導かれる。こうして天文学(と占星術)と医学こそが、自然哲学のうちでもっとも重点的に学ばれるべき領域とメランヒトンは考えることになる。

 政治秩序維持のための方策として編み出されたメランヒトン天文学重視は、天文学研究に神の摂理の探究活動という意義をあたえることになった。この思想はチュービンゲン大学で彼の生徒であったJacob Heerbrandに引き継がれる。このJacob HeerbrandはMichael Maestlinを教え、Maestlinはケプラーの教師となる(Heerbrandはケプラーの教師でもあった)。メランヒトンが神学的重要性をあたえた天文学研究はついに、彼がその世界観を構築した当の土台であるアリストテレス主義的宇宙観を破壊することになるのであった。

 ある特定の時代状況にたいする政治的応答が、そのごの自然理解のあり方を大きく規定する観念を生みだした事例として紹介することができる。科学史研究にひきつければ、メランヒトンの事例が「自然の知識をめぐる問題は社会秩序をめぐる問題である」というShapinとSchafferのテーゼを(すくなくともこの問題にかんしては)裏づけたということになる。