正しい征服、正しい改宗 スペインによるインディオ理解

アリストテレスとアメリカ・インディアン (1974年) (岩波新書)

アリストテレスとアメリカ・インディアン (1974年) (岩波新書)

 生まれつき奴隷的な人間がいるとアリストテレスは言っている。インディオがまさにそれである。このような考え方をめぐる論争を調べた研究書を読みはじめました。15世紀末より未知の大陸であるアメリカに遭遇したスペイン人は、その新世界を理解しようと試みました。アメリカを地上楽園とみなしたり、そこには巨人やグリフィンがいるに違いないと期待する彼らは、「新世界を中世の眼鏡を通して見ようとしたのである」(3ページ)。しかし彼らの考察の中心をしめたのはなんといってもそこにいる住民でした。彼らはいったいどんな人間なのだろうか。この問いへの接近法はスペインが自らの課題としていた事業によって条件付けられていました。その事業とは新大陸を征服し、現地民をキリスト教へ改宗させることでした。インディオを正しく従え、正しくキリスト者とするにはどうすればよいか。

 ここにアリストテレスの先天的奴隷人説を先住民に適用する学者が現れます。この学説が唱えられた背景には、インディオへの正しい働きかけかたと、スペインが必要として労働力の問題がありました。インディオを征服し改宗させるためにまず彼らに暴力をふるうことは認められるか。従えたインディを労働力として使役することは認められるか。これらにともにイエスと答えることを可能にするのが、先天的奴隷人説でした。インディオアリストテレスが言うところの生まれながらの奴隷であり、それゆえ奴隷とすることができる。またそのあまりに獣じみた性質上、まずは暴力を行使してから改宗させるのが適当である、というわけです。

 先天的奴隷人説を最初にインディオに適用したのは、スコットランド出身でパリに滞在していたジョン・メイヤーで、1510年にその考えを著作で表明しました。1519年にはこの学説の支持者であるダリエン司教フワン・ケベードと、それに反対するラス・カサスが皇帝の前で論戦を繰り広げました。ラス・カサスはインディオ改宗のために軍隊を用いてはならず、ただ福音書の説得力をたのみに平和的な方法を取らねばならぬと考えていました。彼によればインディオは理性的な人間であり、それゆえ彼らに洗礼を授ける前には、キリスト教信仰の基本原理を理解させねばなりません。これにより彼は1日に2人で1万5千人ものインディオに洗礼を施すことを可能にしていた、フランシスコ会が推進していた集団洗礼を批判したのです。

 インディオをどう理解し、彼らにどう対峙するかという問題はスペインの征服に際する大きな関心事であり、容易に決着をみませんでした。ついにはインディアス枢機会議(アメリカ植民地行政の最高責任機関)が「いかにすれば征服が、正義にかない良心に危険をおよぼすことなしに行われうるか」を審議するための、神学者と法学者からなる審議会の設置必要性をカルロス5世に建議しました。この会議の結論が出るまでは征服を停止すべしという命令が国王から発せられたのは1550年4月16日です。この学識者からなる審議会においてラス・カサスは先天的奴隷人説をインディオに適用すべしという当代一流の学者と対決することになるのです。(続く)