世界有機体よりはじまる新たな自然観

認識問題 1――近代の哲学と科学における

認識問題 1――近代の哲学と科学における

 『認識問題』の第1巻から16世紀の自然哲学について論じた部分を読みました。この時代の自然考察の出発点には新プラトン主義がありました。この哲学体系では、絶対者と質料的世界の両極は途切れることのない存在者の系で結ばれています。この系に見られる関係性が力によって記述されるようになります。その際の表現形式として有機体としての世界という観念が用いられました。同質の力がすべてに宿りそれらを関連づけているという考えが、世界はそのすべての部分に生命を吹き込まれた一つの有機体であるという形で表現されたのです。

 内部が同質の原理によって相互に関連しあい一つの完結した全体をなしているという世界観は、「一貫した因果的法則性への厳密かつ普遍的な要求」を表現するものでした(188頁)。「思惟の歴史的な歩みは、万物の機械論的メージから出発して、その後で想像力がそれに生命と魂を付与するというのではない。むしろ、運動と生命を一つにするような根源的な具体的統一性の直観が前提条件であり、そしてそれから出発して、科学的分析と分離によって機械論の概念が得られるのである」(188–189頁)。ただし世界が一つの全体として把握されたからといって、個物の個別性がなくなるわけではありません。むしろすべての個物のなかに程度の差こそあれ、全体を貫く自己保存という能力が認められることから、個々の自然現象の説明のさいには個別的な原理を考慮する必要があるとされます

 ここからアリストテレス哲学の2つの根本的概念が書きかえられます。第一に可能態は単に現実態と対をなして関係をあらわす概念としてではなく、むしろ事物に宿りそれに実在性を与える力ととらえられるようになります。第二に力が事物の実在を規定するところから実体、すなわち形相概念が廃棄されます。「火を規定するのは火の形相である。しかしこの火の形相を私たちは知ることはできず、できるのはその形相に由来する性質である熱だけだ」。このように言うくらいなら、性質である熱こそが火を火たらしめていると言うべきではないだろうか。パトリッツィはこのように主張して形相を性質に還元しようとしました。

 世界が統一体としてとらえられたことは、人間と世界の対応を認める小宇宙と大宇宙の観念を発達させました。パラケルススはそこから目に見えない人体内部で起きていることを、目に見える世界で起きていることから理解することを唱えました。この世界を理解するための経験の基盤となるのが化学的分析に基づく実験となります。しかし世界という客観と人間の内なる主観の照応を説くことは、経験的探求を促すと同時に、そうやって見いだされた経験的内容のうちに「結局はふたたびみずからの『心』の反映を再発見してしまう」という神秘主義に陥る道も用意していました(201頁)。