ライプニッツの神的で化学的な機械 Duchesneau, "Leibniz Versus Stahl"

Machines of Nature and Corporeal Substances in Leibniz (The New Synthese Historical Library)

Machines of Nature and Corporeal Substances in Leibniz (The New Synthese Historical Library)

  • François Duchesneau, "Leibniz Versus Stahl on the Ways Machines of Nature Operate," in Machines of Nature and Corporeal Substances in Leibniz, ed. Justin E. H. Smith and Ohad Nachtomy (Dordrecht: Springer, 2011), 11–28.

 ライプニッツとシュタールとの論争を分析することで、ライプニッツが構想していた有機体についての来るべき学問のあり方を明らかにする論考です。ライプニッツとシュタールの論争は有機体が行う物理的な活動に霊魂が干渉するかしないかという点にかかっていました。シュタールは有機体の形成も存続も活動もすべて、有機体そのものとは異質で物理的、化学的分析の枠外にある霊魂の働きかけがなければ成立しないと考えました。特に彼は微小な物質が起こす化学反応のモデルで生体内で起きている過程を理解することに機械論者たちが失敗してきたと主張しました。有機体の活動の背後にはやはり霊魂を想定する必要があるというのです。

 これに対してライプニッツは、有機体というのは神に設計された無限に複雑な機械(machina)であり、そこで起こっている過程はすべて機械の構造に由来するとみなさねばならないと反論しました。この機械的プロセスに霊魂が干渉することは原理的にありえない。そもそも霊魂が物質に干渉すると考えることは霊魂を物質化することであって、これではホッブズの立場に近づいてしまうではないか、というわけです。物質的な法則にしたがって起こる有機体内の過程を解明する鍵とライプニッツがみなしたのが化学でした。生体内で起こっているのは相互に連関を持つ化学反応(とりわけ火による爆発の反応)だと彼は考えていたのです。化学に基礎をおいて生体を分析するような「特殊自然学」はまだ揺籃期にあるものの、原理的にはそれによって生体という「神的機械」の機構を解明できると彼は信じていました。