中世をくくりだすとはいかなる営みか

What is Medieval History? (What is History?)

What is Medieval History? (What is History?)

  • John H. Arnold, What is Medieval History? (Cambridge: Polity, 2008), 1–22.

 中世史学の入門書から、中世という単位をくくりだすことの意味を論じた冒頭の章を読みました。中世という術語はそのはじめから堕落を意味していました。ペトラルカをはじめとする人文主義者にとっても啓蒙期のフィロゾーフたちにとっても、重要であったのは古代と、復興した古代がいかに自分たちの生きる現代の形成に寄与しているのかということでした。中世というのは古代の伝統を継承しそこねた巨大な失敗として観念されていたのです。

 中世というのは同時にオデオロギー論争の場でもありました。イタリアの人文主義者にとって、直前の暗黒時代を想定することは、古代ローマ神聖ローマ帝国の連続性を否定し、後者の帝国の正統性をほりくずすことでもありました。啓蒙のフィロゾーフたちが中世を攻撃したのは、それがカトリック(まさに彼らが理性を旗印に対峙していたところの宗教権力)に支配されていた時代であった(と彼らが考えた)からです。19世紀に中世の評価が高まったときには、たとえばドイツでは民族精神の起源を神聖ローマ帝国の中世に見出すことが行われていました。

 もちろん19世紀が生み出した中世像はそれだけではありません。ランケとその追随者らの批判的歴史学は、(ランケ本人の意図はともかくとして)アーカイブ史料にもとづく政治史の研究に関心を集中させて、それまで存在していた社会史、文化史をアマチュア的な営みとして片隅に追いやることになりました。これにたいしてルシアン・フェーブルとマルク・ブロックにはじまるアナール学派は歴史記述を政治的事件の記述から開放して、地理、社会、文化、心性の領域を探求することを目指しました。アメリカではウィルソンの進歩主義にコミットするかたちで、中世史家たちが中世社会に近代の要素を見出そうとしています(『12世紀ルネサンス』のハスキンズはウィルソンの友人でアドバイザーであった)。20世紀後半からは女性や各種マイノリティに焦点を当てた中世研究がアメリカとフランスの研究者らによって進められています。

 以上の短い概観から中世史を学ぶものが注意せねばならない論点を引き出すなら何が挙げられるでしょうか。一つには中世史学にはナショナリズムが潜んでいることを意識せよということです。カントーロヴィチのフリードリヒ2世自伝に描かれたカリスマ的な神聖ローマ帝国皇帝像が、1930年代のドイツで人気を博したことに現れているように、中世史研究は近代の国民国家共同体にその存立根拠を与える役割を果たしてきました。そこまで極端でなくとも現在の国民国家の枠組みを過去に適用してしまうことで、中世社会を歪めてしまう可能性は常にあります。

 またそもそも中世など存在するのかという問題があります。これは人文主義者が生み出し、17世紀に定式化された時代区分です。時代区分の常として、中世という区分も大きな論争を引き起こしてきました。そうはいっても多くの歴史家は500年から1500年までのあいだを以前とも以後とも違う時代としてくくり出せると考えています。なぜか。これに答えるためには中世がいかなる意味で私たちにとって他者であるか(いかなる意味で他者でないか)ということを批判的に考察する必要があります。いずれにせよ中世をくくりだして意味づけることは常に政治的な営みです。それは常に、進歩、統治、人間の本性、文明といったより大きな問題との関連で行われるものだからです。

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