- Kristine Louise Haugen, "The Birth of Tragedy in the Cinquecento: Humanism and Literary History," Journal of the History of Ideas 72 (2011): 351-70.
15世紀から17世紀にいたるまでにアリストテレスがいかに読まれてきたかは詳細に研究されてきた。だが研究史上の空白として、アリストテレス『詩学』にもとづいて人文主義者たちが展開してきた議論が残されている。人文主義者たちは『詩学』のうちに現実に適用可能な学説を求めるのではなく、むしろそれを過去の歴史を再構成するための史料として読んでいた。それは解釈が困難な史料であり、それがゆえに人文主義者の挑戦を誘発したのだった。問題は悲劇の起源をめぐるアリストテレスの文言にあった。
いずれにせよ、悲劇は最初即興の作から生まれて来たもので、その点は悲劇も喜劇も同様である。すなわち、悲劇はディーテュラムボスを指揮した人々から生まれたし、喜劇の方は、いまでも多くの国々のところどころに風習として残存している下品な祭りの行列の先導者たちから生まれた。その後、悲劇は次第に日の目をみることになったその諸契機を発展させた人々がいたため、少しずつ成長していった。(『詩学』第4章、今道友信訳)
この文は関係性のよくわからない二つの指摘からなりたっている。最初の文は悲劇と喜劇に共通の源泉があるとしている。しかし二番目の文は、悲劇と喜劇にそれぞれ異なる起源を割りふっている。しかしいかにこの箇所が厄介であろうとも、ギリシア悲劇の起源に迫ろうと思うなら、このアリストテレスの文言から出発せねばならない。なぜならこれが唯一の証言だから。
現代の古代学者と同じように、ルネサンス期の人文主義者たちもこの文を手がかりにして、悲劇の誕生を探ろうとした。そこで15世紀終わりごろから16世紀終わりごろまでの解釈を検証すると、いくつかの傾向性が検出される。一つは悲劇と喜劇の区別を鋭くたてずに、両方とも劇(drama)であるとして、その起源を探ろうとする。もう一つは、『詩学』が語らずにすませている劇中での音楽の問題に強いこだわりをみせるという点である。このような傾向性が生まれた背景には、同時のイタリアにおける劇の状況があったのかもしれない。それらの劇は悲劇とも喜劇とも分類しがたく、またそこでは音楽が重要な役割をはたしていたからである。
だが著者がより重視するのが、古代にあらわされた一つの注釈書である。古代ローマの喜劇詩人テレンティウスの喜劇にドナートゥスが注釈を著しており、これが1430年代に発見されていた。ドナートゥスの議論の特徴は、悲劇と喜劇の区分を鋭くたてないことと、劇における音楽を一つの主題としていることであった。このドナートゥスの議論に人文主義者たちは通暁しており、そこから上記の彼らの議論の傾向性もあらわれたのだと考えられる。
現代の学問基準からすると、アリストテレスを読むためにはるか後代の(しかもローマの)ドナートゥスを持ちだすのは許されないように思われる。しかし時代を超えてあるテキストが別の時代を説明しうるという洞察こそ、たとえばポリツィアーノ文献学の一大達成であった。残された数少ない手がかりから、何とかして古代を再構成しようとする人文主義者の営みの一部に『詩学』は含みこまれていたのである。この点でこそ悲劇の誕生をめぐる人文主義者たちの洞察はニーチェのそれと重なっていた。彼らはみな、過去を知るには大いなる想像力の駆使が許されるし、また必須だと考えたのである。