ルネサンスを論じる歴史家たち

イタリア・ルネサンスの文化と社会 (NEW HISTORY)

イタリア・ルネサンスの文化と社会 (NEW HISTORY)

  • ピーター・バーク『イタリア・ルネサンスの文化と社会』森田義之、柴野均訳、岩波書店、1992年、45–64ページ。

 イタリア・ルネサンス芸術に関する社会史研究から、過去の研究を総覧した章を読みました。現在ルネサンスと言われる時代になぜ創造的人間が多く現れたかということは、当時からすでに説明されなければならないことがらと考えられていました。レオナルド・ブルーニがフィレンツェの政治的自由が文化の隆盛をもたらしたとみなしたのに対して、マキャヴェリ都市国家の武力強化が文化の繁栄を引き起こすと考えました。ジョルジョ・ヴァザーリフィレンツェの文化的貢献の起源を、批判を許す自由な都市の空気、市民たちの勤勉さ、栄光を求める強い欲求の存在に求めました。

 現在文化史、社会史と呼ばれている歴史の体系的研究が行われるようになるのは18世紀に入ってからのことです。啓蒙期の著述家たちはイタリア都市国家の自由が商業の発展を促し、商業の発展が文化の隆盛をもたらしたと考えました。スコットランドの社会理論家たちも同じように主張します。商業の発展を基礎に置くこれらのモデルにたいして、ドイツのヘルダーやヘーゲルは芸術も社会も同じ時代精神のあらわれであると説明しました。マルクスはこの図式をひっくり返して、意識が生活を規定するのではなく生活が意識を規定すると考えました。経済的下部構造が文化的上部構造をかたちづくる。

 ブルクハルトにとってルネサンス期のイタリアというのは彼が青春時代をすごした(都市国家同然の状態であった)バーゼルの状況を理想化したものであり、近代の中央集権的工業社会へのアンチテーゼでもありました。彼にとってルネサンスとは個人主義の時代でした。この時代は国家、文化、宗教という三つの力の相互作用として分析できると彼はしました。

 ブルクハルトが行わなかったルネサンス美術についての本格研究はハインリヒ・ヴェルフリンとアビ・ヴァールブルクによって行われます。美術の社会史研究が本格化するのはマルティン・ヴァッカーナーゲルの仕事からです。彼は工房、パトロン、美術市場といった芸術家の環境に焦点を当ててイタリア美術の研究を行いました。芸術の生成に働くより広範な社会的条件を考察したのがアルフレット・フォン・マルティンでした。彼は社会の指導者が聖職者、貴族から資本家にとって代わられたことが当時の芸術表現を規定していたと論じました。同じようにフレデリック・アンタルも社会における階級が異なった種類の芸術作品を発注するとしました。

 芸術の生成の条件を経済的要因に求めたのは、ロバート・ロペスです。彼は14–15世紀の経済は停滞期であったとみなし、そのような状況で芸術が発展したことを「不況期と文化への投資」という枠組みで説明しようとしました。「文化の価値は『土地の価値が減少したまさにその瞬間に増大した。商業的利潤が減退したときに文化の価値は上昇したのである』」(59–60ページ)。一方ハンス・バロンは政治的要因を強調しました。1400年頃のフィレンツェ人が新たな集団的アイデンティティに目覚めたことが文化上の変容を引き起こしたというのです。

 (広範な社会的要因を持ち出す)マクロ社会的アプローチは情報が少なく解釈が過剰で、(工房などの局所的環境を呼び出す)ミクロ社会的アプローチは情報が豊富で解釈を希薄であるという問題があります。このジレンマを回避するためにいは、経験的な研究を一般的な枠組みに組み込むアプローチが必要であると著者はしています。