単一論の困難 Pasnau, Metaphysical Themes, 25.3

Metaphysical Themes 1274-1671

Metaphysical Themes 1274-1671

  • Robert Pasnau, Metaphysical Themes 1274–1671 (Oxford: Clarendon Press, 2011), 581–88.

 複数論者は様々な角度から単一論を攻撃した。とはいえ彼らの批判は基本的にひとつの不満に集約される。単一論では変化の説明ができないというのだ。スコトゥスはひとつの実体にはひとつの実体形相という理論が、説明原理の節約という観点から望ましいことを認めていた。しかしそれでも彼は生物のうちには霊魂と体の形相の二つがあると考える。なぜなら生物の体は生物が死んでも存在するからだ。「霊魂という形相は残らなくとも体は残る」。明らかに生きていたときと同じ体が残っているのに、単一論をとると、生物の霊魂がなくなったあとに、新しい形相が体に宿ったと考えないといけない。これを不合理だと複数論者はみなした。ザバレラは植物を引っこ抜いても、その後長きにわたって抜く前と同じ香りが発せられていることから、この香りを発する形相があらかじめ植物のうちにあったと考えなばならないと主張した。

 単一論者はどう応じたか。なるほど確かに生物が生きていたときと死んだあとで質的に同じ体が連続的に存在しているように見える。これは経験的に認められる。だがそれらの体は本当に数的に(numerically)同一なのか?これは形而上学的な主張であり、経験によって決着がつけられない。単一論者のある者はこれを利用した。Richard Knapwellが1283年ごろにアクィナスの立場を擁護したとき、彼は感覚では生存時と死亡時の体のあいだにある区別をとらえられないのだと主張した。

 だがやはり単一論の代償は高くついた。アクィナス流の単一論をとると、生成と消滅のときに存続するのは第一質料だけとなる。石を半分に割ってあらわれる二つの石の形相は、元の石とまったく独立なのだろうか。単一論者のペドロ・フォンセカは、複数論に立つと、生成や消滅は漸進的なプロセスとなってしまうと反発した。人間が死ぬとき、まず理性的でなくなり、続いて感覚的でなくなり、最後に栄養摂取的でなくなるなるというのか。だがこのような漸進的プロセスとして生成消滅を理解するほうが、たった一つの形相の突如のいれかわりとしてとらえるより、よほど直観に合致した理解に思える。ここから複数論の強みは変化の説明にあったことがわかる。ひとつの実体はひとつの実体だ。だがその諸部分は全体抜きでも存続できるような部分としてそれぞれの形相を有している。こう考えると単一論の難点を回避できる。

 形相の数の問題は形而上学的な問題であったと同時に、自然学的な問題であった。むしろなによりも自然学的な問題であったといえるかもしれない。だがそうすると単一論の歩はさらに悪くなった。生存時の体と死亡時の体のあいだで、質的に同一の付帯的性質が認められることを説明せねばならないのだ。オッカムにいわせれば、多くの質的に同一の付帯的性質を両方の体に認めながら、それらを数的に区別することを可能にするような自然学的説明は存在しない。よって生存時と死亡時の体は数的に同一の性質を有しており、それゆえ形相の存続を認めねばならない。

 ここに現れているのは、変化の前後で存続する何かに第一質料より厚い実体性を持たせる必要性だ。実体形相と第一質料の結合というシンプルなアクィナスモデルにとって、この必要性こそがいわばトロイの木馬となった[著者は明らかに17世紀に起きたことを念頭においている]。

 とはいえこの問題はオッカムが認めていたとおり「理性を通しては証明が難しい」ものであった。問題の核心は実体形相が観察できない点にある。それは付帯性を通じて推測によって把握されるのみである。だがこの点も決して単一論に有利に働かなかった。スアレス(単一論者)は観察される付帯性からは、人間の死亡時に新しい形相が導入されたことをは明らかではないと論じた。しかし事態はより深刻であり、むしろ観察される付帯性からは、同じ形相の相続が強く推測されるのだった。

 以上からわかる通り、アクィナスの厳密な単一論には深刻な難点があった。だが彼の理論が実体の単一性をより容易に確保するという利点を有していたのは否定できない。そこで多くのスコラ学者たちは、アクィナスとは違う形で単一論を定式化しはじめた。生成の前後で数的に同じ性質が確認されるのを認めながら、その性質が第一質料のうちに宿ることで生成のプロセスをくぐり抜けて存続すると主張するのである。この見解は最初14世紀のPeter Auriol, Gregory of Rimini、そしてビュリダンによって支持され、のちにスアレスや他のイエズス会士たちによって採用された(複数論者のザバレラにも採用されることになった。複数論とて変化の説明にあたってはオールマイティではなく、この見解をとらざるをえない場合があった)。14世紀以降、生成変化の過程で存続するのは第一質料だけというアクィナスの見解は不人気であった。