アリストテレスとロンギヌスの槍 Duba, "Souls after Vienne" #1

Psychology and the Other Disciplines: A Case of Cross-disciplinary Interaction (1250-1750) (History of Science and Medicine Library: Medieval and Early Modern Science, 19)

Psychology and the Other Disciplines: A Case of Cross-disciplinary Interaction (1250-1750) (History of Science and Medicine Library: Medieval and Early Modern Science, 19)

 後期中世神学のコアとなる問題に正面から立ち向かった大論文である。徹底した手稿調査から、アリストテレス哲学にもとづく神学の実態を浮かびあがらせている。そのあまりにディープな議論を(なによりも私自身が理解するために)数回に分けてまとめていきたい。今回は論考の全体となる部分である(171-188ページ)。

 1311年から12年にかけて開かれたヴィエンヌ公会議は、神学史のうちで重要な意味を持つとされてきた。会議はフランシスコ会神学者ペトルス・ヨハニス・オリヴィの学説を否定した。その学説は、人間の理性的霊魂はそれ自体として(per se)身体の形相ではないというものである。理性的霊魂は身体の直接的形相でなければならないというわけだ。このようなアリストテレスに沿った見解を神学者に強要することによって、公会議は以後のスコラ学から自由を奪い、その思索を不毛なものにしたと、Robert Pasnauは近年の研究で論じている。しかし彼があげる根拠は薄弱である。公会議インパクトはあらためて検証されねばならない。そのための第一歩として本論文は公会議後のパリ大学フランシスコ会士たちの議論を検証していく。

 まず公会議の決定を確認しておこう。この問題に関する公会議の決定では3つのことが定められており、そのうち2つが重要である。ひとつは理性的霊魂は身体の直接的形相であるということである。もうひとつは、聖書の記述に関係する。ヨハネ福音書には、イエス・キリストの処刑後にローマの兵士が槍(「ロンギヌスの槍」)でそのわき腹を指したところ、「すぐに血と水とが流れ出た」とある。このときキリストは確かに死んでいたと考えねばならないと公会議は決定をくだした。キリストがたしかに死んだからこそ洗礼は有効なものとなるからだ。

 最初の決定が(名指しこそしていないものの)オリヴィにむけられていたのは確かである。オリヴィは理性的霊魂は直接的に身体の形相とはなっていないと論じていた。直接的に身体の形相となっているのは感覚的霊魂であり、この霊魂の仲介によって理性的霊魂は身体と結びついているのだ。これにたいし公会議は、理性的霊魂は直接に身体の形相でなければならないと断じた。不死の霊魂がいかに可死の身体の形相たりうるかの説明は神学者にゆだねられた。

 公会議の決定でもうひとつ確認しておくべきは、それが実体形相の単数説と複数説のどちらかを支持してはいなかったという点である。単数説とは、トマス・アクィナスが唱えた学説であり、ひとつの実体はひとつの実体形相と第一質料が結びつくことによって形成されていると主張する。対して複数説はとくにフランシスコ会士たちによって支持された学説で、ひとつの実体のうちに複数の形相を認める。実体のうちでも人間に複数の形相を認める必要がとくに強く主張された。その根拠のひとつはキリストの身体にあった。キリストは処刑後3日間墓のなかにあった。このときの身体がたしかにキリストの身体であるというためには、処刑によって失われた理性的霊魂以外に、その身体を他ならぬキリストの身体たらしめていた形相をみとめねばならないのではないか。逆に生前のキリストが理性的霊魂と第一質料の結合体であれば、理性的霊魂が離れて残された身体と、キリストとの関係は切れてしまう。これが複数論の根拠のひとつであった。

 以上のような決定にフランシスコ会士たちが対応するにあたって、彼らはしばしばスコトゥスの学説に訴えた。そこで彼の見解をみておかねばならない。スコトゥスはアクィナスの単数説に反対した。単数説をとると、処刑後のキリストの身体はキリストのものでなくなってしまう。そうすると処刑後にその身体から流れ出た水と血も救世主のものでなくなる。しかしこの水と血こそ洗礼と聖餐式の根拠であると、教皇インノケンティウス三世が宣言していた。とするならば、処刑後の身体も救世主の身体とみなさねばならない。とするとその身体は生前から理性的霊魂以外の形相によって身体とされていなくてはならない。

 ここからスコトゥスは形相の複数説にたって自説を構築する。彼によれば生きている実体は究極の形相と、それに先行する「部分的形相」からなる。人間の場合、究極の形相は理性的霊魂である。これが人間の活動をつかさどる。この活動を支える身体は、部分的形相によって構成されている。後者の部分的形相を身体を構成する単数の形相(forma corporeitatis)とみるか、身体のさまざまなパーツを構成するさまざまな形相の集合とみなすかで、後のスコトゥスにならった者たちの立場は分かれた(スコトゥス本人はおそらく後者の立場だった)。

 この立場からスコトゥスは処刑後のキリストの身体を論じる。キリストが死にその究極の形相たる理性的霊魂がなくなったとき、あらかじめあった部分的形相と身体の結合体が残される。これは実は十全な意味ではキリストの実体ではない。それは理性的霊魂と身体が直接的に結合したキリストにのみ言える。しかしそれは非生物の形相を究極的形相とする実体とも異なる。それは元来の十全な意味での実体に遡ることで、キリストの身体であったといえるからである。そこでスコトゥスは処刑後のキリストの身体を「〔もはや生きているキリストはとりさられたという意味での〕減少を通じた(per reductionem)実体」と呼んだ。

 ここまでで公会議の決定の内実と、その後のフランシスコ会士たちの議論で参照されたスコトゥスの学説が確認された。ここからいよいよパリ大学フランシスコ会士たちの議論に入っていくことになる。