「吟味のない生活は、人間の生きる生活ではない」 ソクラテスという人物

What Is Ancient Philosophy?

What Is Ancient Philosophy?

  • Pierre Hadot, What is Ancient Philosophy?, trans Michael Chase (Cambridge, MA: Harvard University Press, 2002), 22–38.

 大きな影響力を持つアドの研究からソクラテス像を扱った箇所をまとめました。ソクラテスの刑死後、ソクラテスを話者とするソクラテス文学が数多く生み出されました。そこで描かれたソクラテスは「自分は知恵に対しては、実際は何の値うちもないものなのだということを知った者」(プラトン『弁明』23b)を自称します。彼の使命は、問答によって知恵あると思い込んでいる者に無知を自覚させることでした。

 ソクラテスにとって知恵というのは、出来合いのものとして誰かから誰かに伝達できるものではありませんでした。「アガトン、もし知がそういう性質のものならば、結構なことだろうよ。つまり、ぼくらが互いに触れ合えば、一杯になっている方から空の方に流れるというのであるならばね」(プラトン『饗宴』175D)。むしろ問答の過程で話者が自分の知の空虚さに気がつき、それにより自分にとっての真理を発見することをソクラテスは目指しました。だから彼は産婆なわけです。

 ソクラテスにとってそうやって自己のうちに発見される真理とは、単なる命題としての知なのではありませんでした。何かを知るとは何をするべきであるかを知ることにほかならないと彼は考えていました。人は本性的に善をなしたいと考えており、それゆえ「そうするのが最善であるという断定を下しながら、この最善のものに反する行為をする人はいない」(アリストテレス『ニコマコス倫理学』7巻2章)。よって大切なのは何をなすべきか、何が善であるかを知り、それをなすことを欲することであるということになります。よく知られているように、ソクラテスは善であると判断したことをなすことを自らの命にすら優先させました。

 何が善であるかを絶え間なく吟味し、自分の生を適切に導くこと。このような課題を自らに課した人物としてソクラテスは描かれているのです。

またさらに、人間にとっては、徳その他のことについて、毎日論談するという、このことが、まさに最大の善きことなのであって、わたしがそれらについて、問答しながら自分と他人を吟味しているのを、諸君は聞かれているわけであるが、これに反して、吟味のない生活は、人間の生きる生活ではないと、こう言っても、諸君はなおさら信じないであろう。しかしそのことは、まさに私の言うとおりなのだ、諸君。ただそれを信じさせることが、容易ではないのです(『弁明』37E–38A)。