- Christopher S. Celenza, "What Counted as Philosophy in the Italian Renaissance? The History of Philosophy, the History of Science, and Styles of Life," Critical Inquiry 39 (2013): 367-401.
それまで哲学であるとみなされていた活動なり思考の領域なりが、近代以降哲学の領域から追放されたという事実から、ルネサンス期イタリアの哲学活動の特徴を描きだそうとする論考である。近代以前の哲学は、よき生を生きるための実践という意味を持っていた。もちろん諸学説を中心に哲学をとらえることも行われていた(アリストテレスがおこなったことでもある)。しかしよき生を生きる実践としての哲学と学説としての哲学は併存しており、ときとして前者により重く力点がおかれることすらあった。
このことは15世紀イタリアの人文主義者・哲学者たちの書き残したものからもうかがえる。そこでは自然哲学よりも倫理学が重要視されることがしばしばであった。哲学はなによりもよく生きるために活かされなばならないと考えられていたからだ。また学派間での学説の相違のとらえかたにも特徴があった。たとえばプラトンとアリストテレスの哲学は基本的に同一の真理を異なるかたちであらわしているのだという信念がひろく共有されていた。哲学を対立する学説体系を備えた諸学派の集成としてとらえることは一般的ではなかった。むしろ哲学においては、人間がかかわる知恵の広大な領域をさまざまな学派が異なる角度からいわば分業体制をとって探求しているという考えが支配的であった。
生きる実践としての哲学という観念が放棄され、哲学がその領域をせばめて認識論へと主軸をうつしていくのはデカルト以降のことである。現代の哲学史はこの過程が進行した18世紀の哲学観が19世紀ドイツのカリキュラムにとりこまれたことによって成立した土台のうえに立っている。そのため18世紀以降の哲学観にそってカノニカルとみなされなかった哲学は、現代の哲学史では扱いが手薄になる傾向がある。哲学をよき生、政治的生に活かそうとした人間を多く輩出した15世紀イタリアルネサンスの哲学が、伝統的な哲学史の記述で等閑に付されることには理由があるのだ。
前近代と近代哲学のあいだでの変化の記述がミシェル・フーコー『主体の解釈学』を想起させるのは、本論文の著者もフーコーもPierre Hadotの研究に依拠しているからだろう。哲学は問題を解くための営みに尽きるのではなく、なによりもまずよく生きるための実践であったという視点から、古代社会における哲学のあり方を読みかえようとした試みである。ここで興味深いのは、このような実践として哲学をとらえることが、一つの真理をさまざまな角度から表現したものとして哲学諸学派を認知することをうながすという論点だ。とくに実践としての哲学把握が、ルネサンス期に「プラトンとアリストテレスの調和」という(古代由来末期の)観念が広まることを助長したという主張は新奇なものに思えた。
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