- Richard A. Muller, Post-Reformation Reformed Dogmatics: The Rise and Development of Reformed Orthodoxy, Ca. 1520 to Ca. 1725, 2nd ed., 4 vols. (Grand Rapids, MI: Baker Academic, 2003), 4:159–162.
Mullerの大著から、古代哲学のうちに三位一体の教義の理解が見られるという考えに対して、改革派の神学者がどう対応したのかを解説した箇所を読む。
改革派の神学者たちはしばしば、古代の異教哲学者たちの著作のうちに、曖昧な形であれ三位一体の理解が記されているかという問題を論じた。そのような代表例は、プラトン、プロティノス、プロクロスの著作のうちにある三つ組(triad)であり、パルメニデスのtrinity[これについては、プロティノスが語っているらしい]、そして『ヘルメス文書』における最高の神性からの精神と言葉の流出である。
ピューリタンのなかではMantonが、プラトンや『ヘルメス文書』にある三位一体への曖昧な言及は、ユダヤ人との接触から生み出されたものか、あるいは後世になってキリスト教徒によって挿入されたものだと主張した。Ridgleyもまた、プラトンとプラトン主義者たちの著作にある三位一体への曖昧な言及は、自然の光から生じたものではなく、プラトンがエジプトに行った際にユダヤ人と接触したことから生まれたものだと主張した。
これに対してSamuel Parkerは、プラトンがヘブライの知恵を知っていたということを疑い、そもそもプラトン的な三つ組とキリスト教の三位一体のあいだには何ら類似性はないと主張した。というのも、プラトン的な三つ組では、それらの間に上下関係があるのに対して、キリスト教の神の各位格は本質を共有しており、それらのあいだには上下関係がないからである。Galeもまた、プラトン的な三つ組を三位一体と同一視するべきではないとし、さらにアレクサンドリアのキュリロスを引きながら、プラトンのモデルはアリウス主義を招き寄せると警鐘を鳴らした。結論としてGaleは、Cudworthのようにプラトン主義とキリスト教の三位一体を調和させようという試みは危険であるとした。
Ridgleyは、反三位一体論者による「三位一体の教義は理解不能である」という批判に答えるために、プラトンを援用することに異議を唱えた。彼はそのような試みをPierre Huetの『理性と信仰の調和(De concordia rationis et fidei)』のうちに見い出していた。Ridgleyは、そのような試みはキリスト教の信仰の単純さを、哲学を混ぜ合わせることによって損なうとした。また、神の力、善性、そして知恵を三位一体の位格に重ねることは、それ以外の神の完全性もまた位格として考えうることになるため、位格の数を3つに制限し損なうとした。さらに、人間の霊魂や自然界にある光や熱とのアナロジーから三位一体を理解することも批判した。それらの例は結局、全体のなかに3つの部分があるという例であり、三位一体の理解に資するものではないのである。
17世紀末から18世紀にかけての理性主義の時代以前には、三位一体の教義が啓示に訴えかけることなく理性的に証明されうるという考えはなかった。この点で、神秘主義的なデカルト主義哲学者であるPoiretが三位一体の教義は理性的に理解しうるとしたのは特筆に値する。ただしPoiretは改革は神学の正統派ではなかった。