魔女狩り隆盛と終息の原因 スカール、カロウ『魔女狩り』#2

魔女狩り (ヨーロッパ史入門)

魔女狩り (ヨーロッパ史入門)

  • ジェフリ・スカール、ジョン・カロウ『魔女狩り』小泉徹訳、岩波書店、2004年、59–117ページ。

 魔女狩りの入門書の後半部を読みました。なぜ魔女迫害は起こったのか。迫害に参与した人々の動機としては、彼らが自分たちの行動の動機として挙げていることを額面通り受け取るべきです。彼らは魔女がいて、人間に害悪をもたらしていると信じていました。この現状をなんとかせねばならない。このような考えが共有されていたことが魔女迫害を促進した決定的原因です。魔女裁判がどうして中世ではなく、近世の現象であるかということも、人々の信仰から説明できます。というのも「空を飛ぶ魔女が共謀して、悪魔の命令に従って行動し、キリスト教徒の群れを傷つけ悩ませることに身をささげている」という「それまでとはまったく異なる重大な挑戦」として魔女観念が生まれたのは中世後期だからです(87ページ)。近世の魔女狩りというのはこの挑戦への対処として理解できます。これに不作やペスト、宗教戦争による破壊、社会的緊張の高まり、政治的不安定さの現出が重なることで、16, 17世紀のヨーロッパに魔女狩りは根づきました。

 なぜ迫害されたのは多くの場合女性だったのでしょう。女性は精神的、道徳的に男性より劣等であり、感情を抑えることもできず、それゆえ悪魔に誘惑されやすいという考え方は、多くの男性学識者に共有されていました。こうした観念があるところで、年齢が高く寄る辺がなく貧困に陥りやすい高齢未亡人や独身女性はなおさら悪魔の誘いにのりやすいと考えられたということはありそうです。また女性が自らの身を守る手段が極度に制限されていた状態では、実際に黒魔術に助けを求めようとした女性がいた可能性はあります。また性的分業が徹底していたため、私的領域で起きた不幸の原因を探すと、疑いが向けられるのは女性になりがちでした。「魔術は大概女性の犯罪と見なされていたが、それは街道での追いはぎ、家畜泥棒、密猟などの犯罪が男の領分と見なされていたのと同じである」(96ページ)。女性が女性を告発する事例の多さは、魔女としての非難が、女性間の反目や嫉妬に根ざしていたことがあったことを示しています。

 魔女裁判は17世紀終盤から収束に向かいます。世界を天使と悪魔の抗争の場所ととらえる世界観は、神のような存在の世界への関与はより一般的な水準のものであり、人間は法則的に動く世界に介入してそれをつくりかえていくことができるという考え方に次第にとって代わられました(科学革命というのはこの一般的な変化のひとつの現れであり、ガリレオニュートンの自然哲学が魔女裁判収束の原因とみなすべきではない)。個人の自律性が認められるようになり、人間が悪魔の脅威に無力にさらされているとは考えられなくなりました。こうして学識者のあいだで魔術の存在に疑いの余地が生まれると、魔術を認定することの困難さが自覚され、拷問の有効性に疑義が呈されることとなりました。ただし民衆のあいだでは魔術の実在性への信仰は残り続けました。それがなくなるのは福祉政策が整備され、魔女像をつくりだす温床の一つとなっていた社会的不平等が部分的に解消される19, 20世紀のことです。しかし魔女裁判というのは裁判である以上学識者の協力が不可欠です。そのため社会的上位層で魔術への疑念が育まれた17世紀終盤以降、魔女狩りは司法制度としては機能しなくなりました。

 魔女迫害を支えた信仰の形態というのは、学識者が長きにわたって練磨してきたものであり、内的な一貫性を備えたものでした。この信仰にしたがって人々は、公益を追求する義務感から魔女を告発したのです。「魔女迫害は悲劇的なほど見当違いの行いであったけれども、その動機は一般に、単なる愚かさだったわけでもないし、暴力そのものを好んだことにあったわけでもない。(中略)魔女迫害は、それを支える誤った前提からすれば、十分に合理的な行為だったのである」(115–116ページ)。言い方をかえれば、「道徳的な動機をもつ行動が、広範囲におよぶ迫害にいたり、善意がもっとも悲惨な結果を生み出す場合があるという恐るべき実例」を魔女狩りは示しています(116–117ページ)。