神への呼びかけとしての三位一体 Vickers, Invocation and Assent

 

 

  • Jason E. Vickers, Invocation and Assent: The Making and Remaking of Trinitarian Theology (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2008), 1–23.

 キリスト教の信仰の規範(the rule of faith)は興味深い形をしている。それはみな三位一体について言及しているのである。このような規範はどう形成されたのか。

 これに対してプロテスタント神学者のある者たちは次のように答えてきた。信仰の規範は聖書から取られて来たというものである。この理解は彼らの初期教会についての2段階理論に対応している。それによると、教会は当初の純粋で「聖書的な scriptural」段階から、神学論争とそれに伴うキリスト教のヘレニズム化を経ての、堕落した「信条的な creedal」段階へと至ったのだという。信仰の規範は、この2番目の段階において、神学論争の中で、聖書から抽出される形で形成されたとされる。

 この見解に対してJ. N. D. Kellyは、最終的に信仰の規範に取り込まれ、ニカイア信条にも含まれることになるような、三位一体に言及する信仰の告白が生まれ、その役割を果たしてきたのは、元来は神学論争においてではなく、むしろ洗礼、教義口授、説教、典礼、悪魔祓いの活動においてであったと主張した。

 これらの活動のなかで三位一体に言及する信仰の告白が果たした役割は、まず例えば洗礼を受ける者が三位一体の神に呼びかけることで、その者が他の神ではなく、まさにキリスト教の神に呼びかけていることが保証されるということがあったと考えられる。また、キリスト教の神に三位一体の形式で呼びかけることは、イエス聖霊を通じて、かつても、そして今も信仰ある者の罪を許し、その再生を果たさせてくれる神へ呼びかけるということであった。だからこそ、悪魔祓いの際に三位一体の神への呼びかけがなされたのである。

 ここから分かる通り、三位一体への当初の関心というのは、たとえば3つの位格間の関係について学的なものではなく、むしろ神が人間の救済のために何をしてくれているのかにあった。これはCatherine Mowry LaCugnaが、三位一体の信仰告白は「救済の理法の形而上学」に何よりも関わっているのであり、「『神学』の形而上学」に第一に関わっていたのではないと論じたことと関係している。