ホムンクルスの夢 アラビア、ユダヤ、ラテン中世における人造人間論 ニューマン『プロメテウスの野望』#2

Promethean Ambitions: Alchemy And the Quest to Perfect Nature

Promethean Ambitions: Alchemy And the Quest to Perfect Nature

  • William R. Newman, Promethean Ambitions: Alchemy and the Quest to Perfect Nature (Chicago: University of Chicago Press, 2004), 164–95.

 ニューマンの『プロメテウスの野望』から、ホムンクルス可能性をめぐる議論を追った第4章の前半部を読みました。人間は生命をつくりだすことができるのか。この問いに答えるための理論的な基礎を与えたのはアリストテレスでした。彼は特定の種類の腐敗物からは特定の動物が性交抜きで自然発生すると主張しています。また彼にとって性交のさいに発生の原理となるのは精液であり、これを受け入れる子宮と月経血というのは植物の種子にとっての土壌のようなもので、その役割は限定的・受動的なものでした。このアリストテレスの理論に依拠するなら、特定の腐敗物からシラミが発生するように、然るべき条件を備えるように調合された物質に、精液を入れれば動物が生まれるのではないか。その精液が人間のものなら人間が生まれるのではないか。ホムンクルスの可能性です。

 人造人間作成を記した文書はアラビア語圏で現れます。サラマンとアブサルの物語では、女性との性交を嫌った王が賢者のアドバイスのもとに、サラマンという子供を女性抜きに生み出すことが語られています。賢者は王の精液を容器に入れて、それにある種の技術を適用することで人間を生み出したというのです。この物語は物質的なこの世(性交はその最たるもの)を離れて非物質的な世界へと人は向かうべきという倫理的メッセージを伝えるためのものでした。それに対してプラトンの名のもとに書かれた『雌牛の書』では人間を生み出す手段を(それがもたらす脅威とともに)伝えることに主眼が置かれています。著者によると、人間の精液を太陽の石と呼ばれる石と混ぜ、それを雌牛か雌羊に注入する。そうして生まれた何かを特別に調合したパウダーに入れフラスコに入れると動くようになる。このフラスコのなかの理性的動物からは様々な驚異的な効果を引き出せる。解剖してそこから得られる液体を足に塗ると水の上を歩けるようになる。1年間育成すれば未来を予言するようになるなど。ジャービル・イブン=ハイヤーンに帰される書では、天球を模したのなかに精液などを入れた鋳型を入れ、様々な調整を施すことで、少年の顔を備えた少女や、壮年男性の知恵を備えた若者を生み出すことができるとされています。

 人造人間の伝統は実はユダヤ教にもあります。ゴーレムというのは泥から生み出されるものだからです。ここまで見てきたアラビア語圏と鋭い対比をなすのが、ユダヤ教文化では精液や月経血から人間をつくることが奨励されなかったことです。それはあくまで生殖とは関連性のない物質から言葉を用いて生み出されるものでした。またそうやって生まれたゴーレムは不完全であり人間に劣るとされ、壊される運命にあると考えられていました。

 ラテン中世ではアラビア語由来の文書にあるホムンクルス生成技術は、悪魔と結託したものであるとして警戒感を持って見られることがしばしばでした。ホムンクルスが適切に調合された物質に精液を与えることで生まれると考えることはマリアの母としての地位を危うくするとも考えられました。子宮が与えられた精液から人間を育てる土壌でしかないなら、神の子を育てるマリアもいわば(男を受け入れていないという意味での)「封印された容器」以外のなにものでもないのではないかという危惧です。しかし人造人間の可能性が完全に否定されていたわけではありません。アクィナスに帰された14世紀の文書は、生成に女性由来の種子が関与することを否定するために、アラビア由来の文書に依拠して男性の精液さえあれば女性抜きに人間を生成できると主張するものもありました。またその文書の著者は、一つの実体には一つの形相しかないという(アクィナスの!)説をホムンクルスの存在を使って否定しています。ホムンクルスは理性的霊魂を持たず、感覚霊魂しか有さない。しかし身体のパーツは完全に有している。このことは人間の身体の存立を可能にしているのは感覚霊魂であり、身体に理性的霊魂一つしか認めないという学説が誤りであることを証明しているというのです。しかしこのような例外を含みながらも、ラテン中世世界はホムンクルスに好意的な土壌ではありませんでした。それは悪魔と結託してキリスト教世界を危うくする者たちの業だったのです。