グローバル・ヒストリーにおける収斂モデル クロスリー『グローバル・ヒストリーとは何か』#2

グローバル・ヒストリーとは何か

グローバル・ヒストリーとは何か

 発散のモデルの基礎にある事象は、人がモノや技術・文化がある地点から別の地点へと伝播することです。しかしこの伝播によっては説明できない歴史的事象が多くあることも事実です。伝播なしに同種の出来事が異なる地点で起こり、次第にその類似性を高めていく修練モデルでしか説明できない事柄があるからです。その典型例が農耕の起源です。20世紀後半以後の研究により農耕の起源は複数あり、しかもそれらは相互に独立に発生したと考えられるようになりました。

恒常的で組織化された農耕の存在を示す最古の証拠は、現代のイラクにあたる地域から見つかっており、そこでは小麦が約1万年前に主要作物となっていたと思われる。その後、わずか1000年以内に農耕が、中国北部、アマゾン流域、パプア・ニューギニアのような東南アジア/太平洋の島々に、それぞれ独立に出現したようである。(74ページ)

わずか1000年!とにかくそれら諸起源のうちには大河沿いになかったり、農耕発生以後大型の専制国家を生み出さなかったりと、従来の農耕起源論に収まらない事例がありました。なぜ紀元前1万年ごろに農耕が複数の地点で相次いで開始されたかの理由はまだわかっていません。ただ最後の氷河期が終わり、植物が多様化し、それにより人間の行動範囲の拡大、人口の増大、植物への関心の高まりが生じたことが起源の一因かもしれません(ケント・フラナリ)。

 農耕開始以後の人間生活の変化を説明する際にも収斂モデルが用いられてきました。最も大きな影響力を持ったのがマルクスエンゲルス史的唯物論です。生産関係に矛盾が生じると歴史の発展が生じるという理論です。この発展段階は(特にエンゲルスによって)人類社会が一般にたどるものとされました。そのうち封建社会からブルジョワ市民社会への以降が検証可能な事例であり、それを欧州以外の様々な文化圏に見出そうとする研究が現れました。たとえばロシア(ミリウコフ)、モンゴル(ボリス・ヴラディミールツォフ)、日本(朝河『入来文書』)について著名な研究があります。しかし近年ではマルクスエンゲルスの史観がきわめてヨーロッパ中心主義的であることを指摘する論者や、スーザン・レイノルズのようにヨーロッパにおける封建社会の存在すら否定する研究者が現れてきており、史的唯物論に挑戦しています。しかしウェーバー、ポランニー、クーンにみられるように近代を説明するための仕掛けとしてグローバルな封建制(とその後に来る市民社会)を想定することはいぜん行われています。近代の特徴を収斂による均質化に見出すなら、その考察の中心にはマルクスエンゲルスがいつづけることになるでしょう。