哲学史の認識論パラダイム Haakoussen, "The History of Eighteenth-Century Philosophy"

The Cambridge History of Eighteenth-Century Philosophy 2 Volume Paperback Boxed Set

The Cambridge History of Eighteenth-Century Philosophy 2 Volume Paperback Boxed Set

 『ケンブリッジ版18世紀哲学史』の最初の章を読みました。18世紀哲学の歴史と言ったときには、「18世紀の哲学」というものが何らかの意味でひとくくりにできると想定されています。この想定を下支えしてきた一つの大きな伝統は、17世紀から18世紀の哲学の歴史を認識論の観点からとらえることです。カントとリードは、ヒュームにより引き起こされた懐疑の危機から哲学を救うことを重要視し、この観点に沿って初期近代以来の哲学を大陸を中心にした合理論(rationalism)と、イギリスを中心にした経験論(empiricism)の二つに整理しました。カント、リード以降にちょうど哲学史が大学での教育カリキュラムに取り込まれたことにより、哲学史を以上のような認識論パラダイム(epistemological paradigm)にのっとって整理することが標準的となりました。こうしてベーコン、デカルト、ロックらの17世紀哲学の発展段階として、18世紀哲学をくくり出すことが可能となりました。

 しかし認識論パラダイムによって見落とされてしまう哲学の多くの側面があります。たとえば欧州外の思想とか倫理や政治思想とかが視野の外に置かれてしまいます。自然神学の領域での目的論を度外視して、カント以前の倫理思想を論じることはできません。また哲学とは単なる知ではなく生き方の実践として現れるという古代以来の観念は当時もまだ根強く残っており、この点も認識論的パラダイムからはこぼれ落ちてしまいます。生と哲学の強い結びつきを理解しなければ、哲学者同士が向け合う対人的(ad hominem)な批判の数々や、哲学者を諸学派(開祖の生き方に倣う集団としての学派)に分類することへの強い関心の存在を説明できなくなります。学派への強い関心からは逆に、あらゆる学派から折衷的に優れた要素を学び、一つの哲学の体系をつくり上げることへの欲求が生まれました。この体系の要には認識論が置かれます。ここから体系的でない哲学(たとえばルネサンス哲学)への軽視が生じました。最後に認識論パラダイムでは、集合的な形態の知識(たとえば歴史)や、社会生活と密接に結びつく言語や技芸へ当時の哲学者たちが向けていてた鋭い関心をとらえきれません。