たわごとの祭司ソクラテス アリストファネス『雲』

ギリシア喜劇全集〈1〉アリストパネース〈1〉

ギリシア喜劇全集〈1〉アリストパネース〈1〉

 アリストファネスの喜劇の中でも、ソクラテスが登場することで特に有名な『雲』を新訳で読みました。ソクラテス46歳、その刑死を20数年後に控えた紀元前423年に上演された作品です。

 アテナイの農民ストレプシアデースは莫大な額の借金を背負っています。それもこれも息子のペイディッピデースが戦車競技に夢中になり、そのための馬やら飼い葉桶やらの費用がかさみにかさんでいるからです。八方塞がりの状況を打開するため父ストレプシアデースはソクラテスが主催する「瞑想塾」に弟子入りすることを決意します。「あそこの人たちは、お金さえ払えば、正しいことでも正しくないことでも議論に乗せれば必ず勝つやり方を教えてくれるのだ」。この論法を使って借金を帳消しにしてしまおうというわけです。塾に向かった父はそこで門弟、奇妙な風体で地面を見つめる弟子たち(「これらの尻の穴は大空を眺めて何をしているのです?」)、奇妙奇天烈な機械を目にし、最後には「たわごとの祭司」ソクラテスに出会います。この過程で彼は様々なことを学びます。たとえば「カオスの神、雲の女神、舌先の女神」の他には神はいない。「ゼウスとは何だね?馬鹿を言ってはいけない。ゼウスなんていないのだ」。様々な現象は自然にある必然から生じる。

 しかし結局ストレプシアデースは「覚えのわるいザル頭の、ぼけ爺さん」として破門されてしまい、代わりに息子のペイディッピデースをソクラテスのもとに入門させることになります。この時息子の面前で、「優れた論法」と「劣った論法」の対決が起ります(論法自体が登場人物として現れる)。前者は伝統的な価値観を体現し、節度を持って正しく生きよと説きます。後者はソクラテスに代表される新たな教育を体現しており、「世間のきまりや裁きの公平さにたいしてその矛盾をあげつらい」、自由放蕩に生きてたとえそれをとがめられても弁論で切り抜けるべきとします。優れた論法は劣った論法にあえなく敗れ、息子ペイディッピデースの師匠として劣った論法が選ばれます。

 数日後、父は息子が塾で学んできた詭弁を武器に、取り立てにやってきた借金取りを追い返すことに成功します。しかし息子のペイディッピデースは口論となった父親を殴打し、それを詭弁により正当化し、さらには母親まで殴っていいのだと論じはじめます(アテーナイでは両親への暴力は禁忌)。ここにいたってストレプシアデースは改心します。「ソークラテースのために神々の信仰を捨てたときは、まったく気が狂っていたのだ」。そこで彼は「あの空疎なおしゃべり野郎どもの建物に火をつけろ」「今日の今日こそ、いかに口のうまいペテン師であっても、私は連中のだれかれなく仕返しを加えるつもりだ」という気持ちになり、瞑想塾を奴隷とともに破壊しはじめます。逃げるソクラテスらを追ってストレプシデースが舞台から退場するところで終劇となります。

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