ショーペンハウエルへの抵抗としての新カント派 Beiser, After Hegel, #3

After Hegel: German Philosophy, 1840?1900 (English Edition)

After Hegel: German Philosophy, 1840?1900 (English Edition)

  • Frederick C. Beiser, After Hegel: German Philosophy, 1840–1900 (Princeton, NJ: Princeton University Press, 2014), 28–48. 

 1844年、重要な哲学書が出版された。ショーペンハウエル『意志と表象としての世界』の第2版である(初版は1818年)。時代の趨勢にさからって、彼は形而上学的な問いに取りくんだ。なぜなにもないのではなく、なにかがあるのだろう。しかも存在する世界はどうして悪と苦しみに満ちているのだろう。これは古典的な問いである。この問いの前提となっていた神学的枠組みをとりはらい、もっぱら世俗的なアプローチを行った点に、ショーペンハウエルの新しさがあった。

 だが形而上学的な問いには答えられないとカントがしたのではないか。そこでショーペンハウエルは、かつての独断論と、カントの断念のあいだを行く道を探ろうとする。観念論の伝統にさからって、ショーペンハウエルアプリオリな方法を退ける。知識の内容はすべて経験からくる。経験から与えられるものの解釈が形而上学である。

 しかしだとするといかにして経験を超えたなにかをしることができるのか。これに答えるために、ショーペンハウエルはカントの物自体を読みかえる。物自体とは現象を超え、人間には到達できないなにかではなく、現象に内在する本質である。現象というのは事物と事物のあいだの関係であり、これには数学的、ないしは因果的な記述を与えることができる。一方現象の本質を知るのに必要なのは解釈である。だがショーペンハウエルはこの解釈がいかになされるかを十分に記述しなかった。

 同時代にはまた別の哲学運動が、別の定義を哲学に与えていた。新カント派である。この運動の起源は18世紀の末にまでさかのぼることができる。しかしそれが自覚的な運動となって広まったのは1860年代のことであった。新カント派の哲学者であるクノ・フィッシャーとエドゥアルド・ツェラーが1860年代の前半に行った講義は、相互に独立になされたものでありながら、非常に似た定義を哲学に与えている。彼らによれば、哲学とは認識論(Erkenntnistheorie)である。経験科学の自律を認めたうえで、そこで用いられている概念、方法、前提を考察するのだ(この点で新カント派はトレンデレンブルクに近い。しかしトレンデレンブルクと違い、形而上学は拒否する)。これはヘーゲル左派が発展させていた批判の方法を、対象を宗教や国家から学問にかえて実践するものである(こうすると仕事がある)。

 この哲学の性格づけは成功をおさめたものの、いくつか問題があった。まずこの認識論は心理学的なものなのだろうか。そうすると知識のあり方への探求はそれの因果的な説明を与えることになる。だがそうだとすると、これは心理学と区別がつかないのではないか。とすると、認識論は論理的なものなのだろうか。そうすると探求は判断の真偽の基準を明らかにすることになる。これはカントの解釈として正しいように思われる。だがよりおおきな問題は、新カント派の哲学の定義が、哲学に実践的な領域を残さないことであった。実際一時期の新カント派は実証主義に接近していた。これが彼らの哲学の魅力を減退させ、実際に講義には学生が集まらなくなったのである。しかもカントの哲学の唯一にして正当な後継者を自認するショーペンハウエルが、倫理的で実存的な問題を主題的に扱う哲学を構築し、人気を集めていた。カントを正統に継ぎ、また影響力を取り戻すためにも、新カント派は実践的な哲学を自らの領域とせねばならなかった。

 この課題に答えたのがヴィルヘルム・ヴィンデルバント1880年代に行った講義である。ヴィンデルバントは哲学を「規範についての一般的な学問」と定義する。規範は、思考、感情、意志といった人間のすべての活動を導く。これの働き方を探求するのが哲学である。こうして哲学は科学、倫理、そして美学の領域をすべて包摂する。