12世紀ルネサンス Burnett, "The Twelfth-century Renaissance"

The Cambridge History of Science: Volume 2, Medieval Science

The Cambridge History of Science: Volume 2, Medieval Science

 最新の12世紀ルネサンス論を読む。多様な側面に目配りのきいた佳作である。中世史に関心があるなら読んでおくべきだろう。

 「12世紀ルネサンス」は、ハスキンズが同名の著作で1927年に導入した観念である。とはいえ12世紀終わりの時点で、学識者たちはなにか新しい事態が起こっていると感じていた(たとえばバースのアデラートの発言にみてとることができる)。この変化の兆しや原因について歴史家たちは様々に論じてきた。11世紀は農業生産の増加とそれにともなう人口の増大をみた。その結果都市が生まれる。そこでの複雑な社会関係を制御するためにリテラシーと基本的な計算能力をもつ人間が必要となった。中央集権化と統制を強める教会もまた学識をそなえた聖職者を必要としていた。

 このような社会状況のうちで、世俗の領域でも教会の領域でも体系化への指向がみられるようになる。ローマ法と教会法の領域でそれが顕著である。それだけでなく過去の権威の発言を集成し、整理する書物(e.g. アベラール『然りと否』)や、知識を網羅した「大全」と呼ばれる作品が生みだされた。

 ローマ法の採用は、社会全体のローマ化ともいうべき事態の一端であった。古典のテキストが再発見され教育で用いられる。その文体を模倣する運動が起こる。建築もローマ風のものが建てられる。ローマの古典がギリシアに多くを負うという認識は、ギリシア文化への関心をかきたてた。

 ギリシア・ローマ由来の世俗的学問は「哲学」と総称され、そこには伝統的な自由学芸のみならず、医学、自然科学、宇宙論といった領域が統合された。この包括的な学問を研究し、古典ラテン語に範をとった文体でその成果を表現することが目指された。その試みは12世紀初頭のシャルトルでもっとも顕著にみてとれるし、モンテ・カッシーノサレルノにも認められる。

 だが12世紀半ばごろより、このような諸学の統合性は崩れ、専門家と専門的術語の確立がはじまる。もはや諸学を一人の人間が修めるのは不可能になっていた。ギリシア語やアラビア語からの翻訳は、それまでの古典の文体を意識した文学的なものから、テクニカル・タームの訳語を一貫させることに重きをおいた逐語的なものへと変化した。学問の諸分野の区別はアリストテレスの学問論にも合致したものである。専門化が起こった時期と、哲学の主要な権威がプラトンからアリストテレスに移行する時期が重なっているのは偶然ではない。学問分野ごとに分かれた学部を備える大学制度は、この専門家の結果であり、それを加速させる原因でもあった。そこでは教師たちが学識と知的洗練度を互いに競うことで新たな理論が次々に生みだされた。これは修道院や聖堂学校を中心とする初期中世の学問ではみられなかった現象である。

 11世紀後半からの学問の一大特徴は論理学への強い関心である。アリストテレスの作品のうちで、ギリシア語原文が最初に求められたのは論理学関係の著作であった。とりわけ『分析論後書』で示された論証の議論は、ボエティウス『ヘブドマディブス』とエウクレイデスの『原論』がその方法を実践したモデルとしてとらえられることで、よく知られるようになった。論理学の重要性の認識は、アリストテレスこそ最重要の哲学者であるという認識をともなった。ここからアリストテレスの諸著作が再発見されることになる。この再発見は西洋科学の歴史にとって記念碑的な意義を持つことになるだろう。

 アリストテレスの地位向上は、南イタリアを中心にすくなくとも11世紀終わりごろより自然科学と宇宙論への関心が高まっていたことの反映でもあった。アリストテレスの学問論にならって、自然現象の原因を探求することが行われるようになる。原因の探究の必要性はプラトンの『ティマイオス』からもかきたてられていたものであった。このような問題意識は、霊魂の本性をめぐる議論を活性化させるとともに、形而上学の領域では事物の原理の探究をもたらした。また占星術に学問的基礎を与える試みがはじまる。これによりここの術者が、どの天体のどのような動きがどのような帰結をもたらすかを理論的に論じられるようになった。以上のような自然探究の進展は、人間が自然の秘密を知りうるという確信に基づいていた。この確信はすでにアデラートの著作にみられるし、「ヘルメス文書」への関心の高まりにもあらわれている。この確信は錬金術や魔術に関する大量の文書を生みだすことにもつながる。

 12世紀の学者たちがギリシア、アラビア、ラテンの伝統から集め、整理した知見と、その土台のうえに彼ら自身が著した諸著作は、学問のための言語、方法論、そして人間は世界を知ることができるという確信をもたらした。ここから13世紀とさらにそれ以後の科学的思考の発展が生まれることになる。

図像出典

アデラートの著作の写本(13世紀終わり)。Wellcome Imagesより(L0019475)。