哲人王が与える余暇 小島「フィチーノ『プラトン神学』翻訳(1)」

 明治大学文学部の紀要にてフィチーノの『プラトン神学』の翻訳が進められています。現時点で連載は11回に達しており、第10巻までが訳されています。『プラトン神学』は全18巻なので、4年かけて半分強まで進んだことになります。今日はそのうちの連載第1回部分を読みました。ロレンツォ・デ・メディチに捧げた有名な序文が含まれています。フィチーノいわく、プラトンを真剣に読むならば誰であれ、神への敬愛と霊魂の神性を学べます。これにより「不敬虔にも哲学の熱心な勉強を聖なる宗教から分離させている人は誰であろうと、いつかは自分自身が誤っていることを認識するようになります」。ここでフィチーノが批判しているのは、彼が別の箇所でアフロディシアスのアレクサンドロスアヴェロエスの支持者たちとしている人々だと考えられます。そのような人物たちのようにアリストテレスを物質主義的に解釈することで、宗教と両立しない哲学を追い求めるのではなく、プラトンを読むことでキリスト教と一致する哲学を学ぶべきだというのです。

 序文の末尾はロレンツォに向けた次のような言葉で締めくくられています。

寛仁なるロレンツォよ、私がこの作品を他の人々に先んじて貴殿に献呈しようと判断したのは、貴殿に哲学の道を拓くためではありません。なぜなら、貴殿はずっと以前から哲学を研究し、驚くべき真の才能によって哲学を理解しているので、貴殿よりはむしろ他の人々に古代人の秘密を知らせるべきであると考えるからです。むしろ私たちが貴殿の庇護により容易に哲学的思索のできるこの余暇を得ているからです。また私たちのプラトンも貴殿に対する私たちの忠誠心に喜んで感謝の意を表すと思われるからです。というのも、かつてプラトンが優れた人たちに最も期待したことを貴殿は成し遂げたからです。すなわち貴殿は政治の最高権威に哲学を結びつけているのですから。(訳文を少し変更)

 フィチーノにとってロレンツォ・デ・メディチとは哲人王であったのです。