プラトンを読むためのアリストテレス 中畑「アリストテレス『魂について』をめぐる註解者たちの議論」

 ギリシアアリストテレス註解者について日本語で読むことのできる貴重な論考です。前半の概説部を中心にまとめます。

 古代にはアリストテレスの著作にたいするおおくの註解書が著されています。註解という形式はホメロスへの注に端を発するものであり、とくに紀元前200年頃よりアレクサンドリアで発達しました。同時にオルフェウスに帰される詩句の意味を読み解こうとしたパピルスもみつかっており、宗教的文書の説明もまた註解の伝統の源流にあることがわかります。哲学散文の註解は紀元前3世紀初頭頃より確認されはじめます(プラトンの『パイドン』註解ではないかという書き込みが残されているらしい)。この開始にはいくつかの要因が考えられます。写本へのアクセスが容易となり、書物への関心が増大したこと。古典ギリシア語が古語の領域に入りはじめ解説が必要となったこと。哲学学派が形成され、その学派の同一性を保つために創始者なり学派の有力な哲学者の著作者の釈義にいっそうの力が注がれるようになったことです。アリストテレスの専門講義用の著作が広く知られるようになる紀元前1世紀には、それらの著作への解釈が試みられるようになりました。ただしこの頃に作成されたと思われる註解は散逸しており、アリストテレスの著作への現存する最古の註解はアスパシオスが紀元後2世紀前半に作成した『ニコマコス倫理学』註解となります。その後3世紀の前半頃にアフロディシアスのアレクサンドロスが数多くの註解書を著し、アリストテレスの哲学を整合的な体系とみなす見解を確立します。

 ペリパトス派によるアリストテレス註解の伝統はここでとだえ、以後の註解のおおくは新プラトン主義者によって書かれるようになります。この伝統を創始したのはプロティノスに学んだポルフェリオスです。彼はプラトンアリストテレスの思想が調和するという信念から、アリストテレスの著作に註解をほどこしました。彼以後アテナイアレクサンドリアアカデメイアでは、プラトンを学ぶ前の準備段階としてアリストテレスが読解されることにいなります。ただしポルフェリオス以前からプラトン主義者はアリストテレスを利用していました。ストア派の体系的思考に対抗してプラトンの思想を体系化するときにアリストテレスの概念や理論を利用していたからです。プロティノス以降の新プラトン主義ではここに宗教的傾向性が加わりました。最終的に神と合一するため手引きとしてアリストテレスを読むのです。

 こうしてプラトンアリストテレスの調和という理念のもとに生まれた諸註解は以後のプラトンアリストテレス解釈におおきな影響を与えました。また註解という形式が哲学活動の一角を占めるようになるのも新プラトン主義者たちによるアリストテレス註解の伝統があってこそであると考えられます。