ニッコロ・レオニチェノと形成力の正体 Hirai, Medical Humanism and Natural Philosophy, ch. 1

  • Hiro Hirai, Medical Humanism and Natural Philosophy: Renaissance Debates on Matter, Life and the Soul (Leiden: Brill, 2011), 19–45.

 ヒライさんの第2著作からレオニチェノを扱った第1章です。アリストテレスの目的論に内在する難問が反アラビア主義とギリシア人注釈家への傾倒と交差したときにどのような思考を生みだしたかが解説されています。細部の味読によってこそ生きる論考なのでぜひ本文をお読みください。実際何度読んでもはっとさせられる発見があります。

 ニッコロ・レオニチェノ(1428–1524)は1506年にだした『形成力について』という著作のなかで、発生のときに人間の身体を形づくる力の正体を論じています。そこで彼が攻撃するのがこの力を天に由来するものとしたり、人間の外部から到来する知性と同一視する学説です。レオニチェノの判断では、これはアラビアのアヴィセンナアヴェロエスアリストテレスの『動物発生論』を誤って解釈したことから生まれた誤謬であり、ラテン世界ではアバノのピエトロがおなじ誤ちをおかしています。アリストテレスは種子のなかにある熱を確かに天界の元素に類似しているといっているものの、これはあくまで類似しているだけであり、種子に天界の熱があるわけではありません。自然発生の事例からも分かるように、そのような熱は汚物にも宿っており、そのようなものに天に由来するものがあると考えることはできません。種子のうちにあるのは元素的な火のように事物を破壊するのではなく、生命を養うものです。だがそれは天界の熱と同じではなく類似しているだけです。このようないわば第三の熱が種子にはあると考えるべきです。実際ガレノスは身体の形成を行うのは栄養摂取霊魂であるとし、その霊魂を熱と同一視しています。

 そこでレオニチェノはアラビア哲学者ではなく、アリストテレスギリシア人注釈家にそって議論をすすめます。アフロディシアスのアレクサンドロスは自然というのは非理性的な力であるとしています。この力は思考はしないけれども決められた目的を達成します。アレクサンドロスはこの力を非理性的としているものの、シンプリキオスは反対にこの力は理性的だと考えられると言います。思考していないのになぜ理性的なのか?それは自然の力が天の運動を通じて、より上位にある形相(イデア)の管理下にあるからです。レオニチェノはこのシンプリキオスのプラトン主義的見解に好意的です。これにより自然自体は霊魂よりに下位にある思考力を一切欠いた力であるとし、これを形成力とみなすことができる(それにこれならば汚物中にあってもいい)一方で、それがなぜ思考なしに目的にかなった事物の形成を行えるかが説明できるからです。