ペトラルカによるアリストテレス主義批判

ペトラルカ 無知について (岩波文庫)

ペトラルカ 無知について (岩波文庫)

  • ペトラルカ『無知について』近藤恒一訳、岩波文庫、2010年。

 ペトラルカの著作を読みました。『無知について』はペトラルカと親交を持った4人のアリストテレス派知識人が、彼を善良であるが無知であると決めつけたことへの反論として書かれています。執筆時期は1367年の夏。公表は71年初めでした。74年にペトラルカは没するので最晩年の作品ということになります。

 この書ではアリストテレス、およびアリストテレス主義者への批判が頻出します。神は世界を無から創造したのに、アリストテレス主義者たちは世界は永遠であるという考え方にしがみついている。彼らは何ものも無からは生じないという格率を不敬にも神自身に帰していますし、このような信仰に反する学説を述べるために「さしあたり信仰のことは別にし、そっとしておいて議論すると公言するのがつねです」(97頁)。しかし実際に彼らが述べることは混乱しており誰にも(彼ら自身にも)理解できません。これは彼らが事柄を理解していなく、それゆえ彼らこそ無知であるという証拠にほかなりません。御言葉を介しての無からの創造を彼らが理解出来ないのは、古代のエピクロス派の人々が同じことを理解できなかったことよりなお問題があります。なぜなら彼らはすでにキリストの教えを手にしているのですから。「ヤマネコも真っ暗闇では見ることができないかもしれませんが、光のなかで目をあけてもみることのできない人は完全に盲人です」(104–105頁)。

 神や永遠に関する問題ではアリストテレスを避けるべきです。彼よりもむしろ「神的なことについては、プラトンプラトン主義者のほうが、より高く昇っています」(125頁)。これはアウグスティヌスが証言しているとおりです。しかしプラトンとてキリスト教を知らない以上、アリストテレスと同様に真の哲学者とみなされるべきではありません。

 アリストテレスの文体も高く評価できません。「翻訳者たちの稚拙さか妬み心のせいで、われわれに伝えられたアリストテレスの文体は生硬でごつごつしたものになり、あまり耳にこころよくひびかないし、おぼえやすくもありません」(111頁)。彼の倫理学関係の著作は「徳とはなにかを教えてくれます。しかし徳を愛し悪徳をにくむよう、ひとの心をかりたてたり燃えたたせたりする、ことばの力や炎が、かれの論述には欠けています。あるいは、ごくわずかにしかそなわっていません」(113頁)。そのような力や炎はキケロセネカに見出されるものです。アリストテレスを高く評価したのはなんといってもアヴェロエスです。ひとは自分が注釈した作品をほめたがるものです。

それにしても、ひとの作品の註解者、あるいはむしろぶちこわし屋が、とりわけ今日では、なんと群れ集まっていることでしょう!このことは、こうした無数の職人にさいなまれた[ペトルス・ロンバルドゥスの]『命題集』がまっさきに、もしも声あるものならば、はっきりと嘆きの証言をすることでしょう。(121–122頁)

 アリストテレス主義者たちは、プラトンアリストテレスに比べてわずかな数の作品しか残さなかったと主張しています。しかし「わたしは学識者でもギリシア人でもないのに、プラトンの著作を16篇かそれ以上もわが家に所持しています。…もし信じられないなら見にくるがいいでしょう」(127頁)。