揺らぐ最後の激変 Rudwick, Worlds before Adam, ch. 16

Worlds Before Adam: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Reform

Worlds Before Adam: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Reform

  • Martin J. S. Rudwick, Worlds before Adam: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Reform (Chicago: University of Chicago Press, 2008), 225–36.

 キュビエのテーゼが崩されはじめる様を描く第16章です。

 キュビエは絶滅した巨大哺乳類と同時代に人類が存在していたとは考えませんでした。これは宗教的な理由からではなく、むしろ経験的な証拠に支えられた主張でした。これまでに発見された人骨は、たとえ直近の激変(これで大型哺乳類が滅んだ)以前のものと一時みなされたとしても、最終的には太古の人類の存在の証拠たりえないと判定されてきていました。ジョン・マケネリーはイギリス西部の洞窟で斧や矢じりが動物化石と混じっているのを発見しました。しかし彼も、そしてバックランドも、人骨との同居がみられなかったため、この洞窟の発見から巨大哺乳類と人類との同時代性を主張するにはいたりませんでした。

 太古の人類の存在を裏づける証拠は、クリストルとトゥルナルという二人の若き自然誌学者によってもたらされました。トゥルナルはビゼの町の近くにある2つの洞窟調査で、人骨と陶器の破片が動物の化石と混じって埋まっているのを発見しました。1828年の論文のなかでトゥルナルは、発見された動物の化石はこれまでみつかった化石よりも現生動物に近く見えるのだから、これは太古の世界と現在の世界の中間に時間的に位置するとしました。これらに混じって人骨がみつかる以上、人間の化石はヨーロッパではみつからない(つまり最後の激変以前には人間はヨーロッパにはいなかった)という主張は疑われるべきだとトゥルナルは主張します。

 クリストルもまた1829年の報告でやはり自分の発掘からも人骨が動物化石と混じってみつかったとしました。しかもそこでの動物化石は明確にこれまで激変以前のものとされてきたものです。これらに混じって人骨がみつかった以上、もはや激変以前に人類がいるかいないかの論証の挙証責任は、その存在を否定するサイドにあるのだとクリストルは主張しました。これまでの激変以前の人類不在説は証拠の不在という消極的な根拠によって裏づけられており、その根拠の価値はしばしば過大評価されてきたとクリストルはします。これは強力なキュビエ批判でした。クリストルの発見にバックランドは感銘を受け「私がおよそ目撃を望めるうちで最も重要な地質学的発見」としました。

 クリストルの発見をうけ、トゥルナルは理論的考察を開始します。彼は太古と現在の中間に位置する動物と人間の共存は、人間の活動によりこれらの動物が絶滅したことを意味すると解釈しました。さらに彼は表層堆積層が長い時間をかけて形成されたことが今ではわかっており、かつ諸々の洞窟でみつかる化石のあり方は多様であるのだから、動物が洞窟に埋められることになった原因を単一の大洪水という原因に帰すのは不合理であると主張しました。こうして激変ではなく徐々に哺乳類が変化し、しかもそこには人間との共存の時代があったとしたとトゥルナルは主張したのです。

 これにたいしてキュビエはクリストルやトゥルナルが調査している表層堆積層で人間の骨がみつかることは疑問視されておらず、むしろそれより下の地層で人間がみつかるかどうかが問題となっているのだとしました。しかしキュビエはもちろん表層堆積層で人間の骨がみつかるかどうかが激変以前に人類がいたかどうかを分ける重要な論点であったことを知っていたはずです。彼の言明はクリストルやトゥルネルの発見の重要性を覆いかくし、それに向かい合おうとしない不誠実な態度のあらわれと言えます。

 こうして太古の世界と現在の世界のあいだにキュビエがひいた断絶は証拠をもとに疑われはじめることになりました。