後期スコラ学における解剖学 Edwards, "Body, Soul and Anatomy in Late Aristotelian Psychology"

Matter and Form in Early Modern Science and Philosophy (History of Science and Medicine Library / Scientific and Learned Cultures and Their Institutions)

Matter and Form in Early Modern Science and Philosophy (History of Science and Medicine Library / Scientific and Learned Cultures and Their Institutions)

  • Michael Edwards, "Body, Soul and Anatomy in Late Aristotelian Psychology," Matter and Form in Early Modern Science and Philosophy, ed. Gideon Manning (Leiden: Brill, 2012), 33–75.

 後期スコラ主義者たちが同時代の解剖学の進展にどう対応したかを検証する論文です。1550年以降、アリストテレス『霊魂論』への注解書、および霊魂を扱った著作のうちで解剖学の著作や解剖学的知見への言及が増加します。しかしそこでは図版がほとんど見られません。これは図版を多用していた同時代の解剖学者と大きく異なります。ではスコラ学者たちは解剖学に言及することで何を目指していたのか。

 プロテスタント圏ではメランヒトンが霊魂論における解剖学への言及に先鞭をつけました。彼は霊魂の能力を理解するためには、その能力が発現する各器官についての知見が不可欠だとしたのです。解剖学的知識に基づいて人体(質料)、霊魂(形相)を理解することは、神の創造の御業を理解することに等しいとされました。メランヒトンの追随者たちは、彼にならって霊魂の能力を扱うさいには解剖学的知見を参照するようになります。解剖学的な議論に力点が置かれた結果、それが霊魂論本体から(切り離せはしないけれど)自律性の高い位置づけを与えられることになります。ただし彼らの議論では霊魂の能力についての議論に、解剖学的知見が直接いかされることは多くありませんでした(よってこの時代のスコラ学者の霊魂能力論が器官の構造にもとづく説明を好む「正理学的転回」をむかえたというキャサリン・パークの説明は成りたたない)。

 イエズス会の場合、会の公的な取り決めが、神の讃美という会の目的とは直接の関係のない法律と医学を学ぶことを禁止していました。もちろんだからといって、イエズス会士たちが当時の解剖学の成果を知らなかったわけではありません。彼らはそれに(書物を通じて)よく通じており、霊魂論のなかでその成果に言及もしています。しかしそこでは常に解剖学固有の領域に踏みこむことへのためらいがみられました。霊魂論と解剖学を区別しようとする傾向はミニム会の修道士であるJean Lalemandetにも見られました。

 この分野間の境界線引きの動機としては、学問的方法論の適用範囲に自覚的であるべしというアリストテレス主義の伝統や、初学者がアリストテレス哲学を学ぶに適切な教材をつくろうという教育的配慮がありました。またイエズス会の場合は会の取り決めへが会士の議論をおおきく規定していました。これとならんで解剖学は個別的で細かい知見を扱い、それは自然哲学の領域とは関係のないことだという区別の基準が共有されていたように思えます。ガレノスはすでに人体に関する詳細な知識は自然哲学者には有用であるけれど、医療に従事する者にはかならずしもそうではないと論じていました。Lalemandetはこの図式をひっくり返して、解剖学には有用であるけれど、自然哲学には有用ではないとして人体に関する詳細な記述を自らの霊魂論にいれることをためらったのです。