ルネサンスの霊魂論 Park and Kessler, "The Concept of Psychology"

The Cambridge History of Renaissance Philosophy

The Cambridge History of Renaissance Philosophy

 基本書に掲載された基本論文である。ルネサンスの霊魂論はその名前からもわかるように、アリストテレスの『霊魂論』を土台に組みたてられていた。霊魂は動植物にとっても生命の原理であるため、議論の場はアリストテレスの動物論関係の著作や、擬アリストテレスの『植物論』にも広がっていた。同時に人間の霊魂は非物質的実体であったため、霊魂論は形而上学や神学とも関連していた。とりわけ霊魂の不滅性が主題となるとき、神学とのつながりは明確であった。霊魂は身体を統御するものでもあるので、霊魂論は医学とも深く結びついていた。霊魂について論じる際にはガレノスやアヴィセンナといった医学上の権威がたびたび引かれたし、アリストテレスの『霊魂論』や『自然学小論集』に含まれる生理学的な議論は医学教育の基本に組みこまれていた。

 これら他分野とのつながりと同時に、霊魂論は当時の大きな知的運動の影響下にあった。人文主義である。人文主義者が生みだしたアリストテレスの新たな翻訳は、彼の哲学への新しい接近方法を開拓した。またアリストテレスギリシア語本文が利用可能となり、ギリシア語に基づいた講義も増加した。こうして徐々に史的アリストテレスを理解しようという機運が高まった。同時にこれまで知られていなかったギリシア人注釈家の著作がラテン語訳やギリシア語本文を通じて広く利用可能となった。たとえばテミスティオスとアレクサンドロスは知性単一説や霊魂の不滅性をめぐる議論で頻繁に利用された。アリストテレスを新プラトン主義とキリスト教の教義と調和させようとするものたちにとっては、シンプリキオスとフィロポノスが有用であった。人文主義者たちはアリストテレス主義の枠外にある哲学著作を大量に利用可能にした。プラトンプロティノス、シュネシオス、エピクテトスキケロ、セクストス・エンピリコスといった著述家たちの議論が広く利用された。

 こうしてアリストテレスの本文をより忠実に読もうとする動きと、哲学学説の選択肢が多様化する動きが同時に進んだ。これにより1520年代に変化が起こる。中世の霊魂論への関心が急激に低下するのである。野蛮なラテン語を使い、新たなギリシア語史料に通じていない過去の著作は求心力を失ったと考えられる。しかしだからといって中世との根本的断絶が起きたわけではない。むしろ人文主義者の歴史的・文献学的アリストテレス読解に対抗して、正当な哲学学説の源泉としてアリストテレスを読もうとする動きが起こった。イタリアではアヴェロエスと、アヴェロエスの有名な解説者であったJean de Jandunの人気が高まる。スペインとポルトガルでは、トマス・アクィナスを中心とする13世紀哲学が対抗宗教改革のさなか再評価された。これらの動きは単なる中世への回帰ではない。それは人文主義の文献学的洗練、ギリシア語史料の利用、そして印刷技術の活用をとりこんでいた。この意味で16世紀のアリストテレス主義は、中世の伝統と古典に帰ろうとする人文主義の運動の合流点に位置しているのである。