ルター派のためのアリストテレス 楠川「近世スコラ学と宗教改革」

西洋哲学史 3 「ポスト・モダン」のまえに (講談社選書メチエ)

西洋哲学史 3 「ポスト・モダン」のまえに (講談社選書メチエ)

  • 楠川幸子「近世スコラ学と宗教改革 ルター主義者とアリストテレス哲学」宮崎文典訳、『西洋哲学史 III 「ポスト・モダン」のまえに』講談社選書メチエ、2012年、99–146ページ。
    • Sachiko Kusukawa, “Lutheran uses of Aristotle: A Comparison between Jacob Schegk and Philip Melanchthon," in Philosophy in the Sixteenth and Seventeenth Centuries: Conversations with Aristotle, ed. C. Blackwell and S. Kusukawa (Aldershot: Ashgate, 1999), 169–188.

 16世紀から17世紀にかけて、哲学者の多くがアリストテレスの著作にもとづいて著述活動を行った。この事態をさして彼らがアリストテレス主義者であったとか、アリストテレス主義が隆盛していたと述べることは可能だろう。しかしこの記述はあまりに一般的すぎて、なにかを説明しているとは言えない。より特定的に個々の著者がどのようにアリストテレスを使っているかを検証しなくてはならない。本論でとりあげられる著者はヤーコプ・シェックとフィリップ・メランヒトンである。彼らはどのようにアリストテレスを利用したのか。

 シェックはテュービンゲンで学び、同地で教えた。大学は1536年のメランヒトン訪問以降ルター主義で固められており、シェックの哲学にもその事実が反映されている。シェックは講義のなかでアリストテレスの著作を数多くとりあげており、その内容は著作として出版されている。初期には自然学を講義していた。そこでは「アリストテレスは哲学者たちの第一人者であるというわけでなく、哲学者たちの神であるとも、私は思っている」としながらも、世界の永遠性の問題についてはアリストテレスとたもとを分かっている。『分析論後書』の注釈書として執筆された『論証について』(1564年)では、アリストテレスプラトンを組み合わせながら、知識(scientia)にはその完全性に応じて3つの段階があると論じた。一つ目はアリストテレスがアパゴーゲーと呼んだものである。二番目では完全な論証を備えていながらも、ディアノイアに属するがゆえに感覚とつながっており、そのため仮設的な知識である。ここには個々の学問的知識が入る。最後の段階は知恵と呼ばれ、ヌース(精神)の領域にあり、最高度に完全な知識である。ここには存在の学としての形而上学が入る。[シェックの「精神」概念については、さらに詳細な検討が必要である]

 シェックにとって、哲学の立場から神学について語るとき、その結論は2番目の完成度をもつ知識とみなされるべきであった。それはディアノイアの領域にあるがゆえに真でありうるものの、啓示が保証するような絶対的な確かさはもっていない。しかしそれでもなお、ディアノイアの領域で神学について論じることは、意見の相違を取りのぞき、異端の発生を防ぐ効力があるとシェックは考えていた。このような立場から彼が哲学的に聖餐の問題を論じ、ルター派の立場を支持する結論を下したのだった。

 一方メランヒトンアリストテレスを活用した。彼は市民が権力に服従しないことが、ルターの教えの実現を妨げると考えた。そこで市民の服従を必要性を説くために、アリストテレスの論理学と倫理学に目を向けた。論理学が提供する確実な推論により、市民の服従の義務を論証しようとしたのである。またメランヒトンは、自然学を論じるにあたっては、宇宙が神によって人間のために創造されていると論じた。この世界にある秩序は神によって与えられたものである。よって秩序を維持するためにも市民は服従せねばならないことになる。

 シェックもメランヒトンも、アリストテレスの論理学に依拠することで、ルター派の教義に証明を与え、争いをとりのぞき、論敵や異教徒を自分たちの側に引きよせることができると考えていた。この意味で彼らのアリストテレスの利用は、ルター派の教えに基礎づけられており、「ルター派的」であったと言える。

メモ

しかし、彼はビゴーの助言にしたがって、医学に転じた。ビゴーは、ユリウス・スカリゲルが賞賛し、最高の哲学者との賛辞をあたえた人物で、当時、アリストテレスの「オルガノン」を当地で教えていた。シェックとビゴーのあいだには大変親しい交流があったのである。(Georg Liebler, Oratio funebris de vita, moribus et studiis ... J. Schegkii [Tübingen, 1587], 17)