- 作者: 橋場弦
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 1997/11
- メディア: 単行本
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古典期アテナイの民主政のすぐれた解説を読みました。民会は市の西にあるプニュクスの丘という場所でひらかれました。これはアテナイの最高意志決定機関です。市民ならば誰でも参加することができます。年に40回ほど開かれました。議論されたのは外交問題、顕彰問題(誰を顕彰して碑文を建てるか)、国事犯の弾劾裁判、法の制定・改正、将軍や財務官の選挙といった議題です。他方ポリスの財政問題や市民の経済活動や教育はほとんど問題とされませんでした。民会は評議会が上程した議題のみを議論します。ときして評議会の決議案を受けいれ、ときとしてそれを否定し新たな決議をくだしました。民会は開会の4日前に開催が告知され、当日の朝から昼ごろまで行われます。遠方からの参加をうながすために出席したものには手当が与えられ、これがじょじょに引き上げられていきました。上程されてきた問題について議題上での演説が行われると多くの場合挙手による採決が行われました。採決では厳密に人数を数えるのではなく、議長団が概数を見渡しによって判断していたと考えられます。ところで会議中に雨が降りだすとゼウスをはじめとする神々からの警告とみなされ、即座に解散となりました。
民会が終わると午後はアゴラにて評議会がひらかれました。10の部族から30歳以上の市民の50人ずつを選び(予備候補者のうちからくじ引きによって選ばれる)、500人からなる評議会が結成されていました。任期は1年、2期以上は連続してなることはできず、生涯のうちに2度しかなることができません。評議会は民会へ議題を上程する権限を持つとともに、最高行政機関として大きな権限を持っていました。祭日と不吉な事が会ったときをのぞいて毎日開催されます(だからある程度裕福でないとつとまらない)。
アゴラでは裁判もひらかれていました。訴える側も弁護する側も裁く側もすべて一般市民が行います。司法官僚は原則として存在しません。陪審員は一般市民から選ばれ、定員6000名でした。これが公法上では501人、私法上では201人の基本単位をつくって裁判の判決を下します。裁判中の弁論は水時計によって時間が定められたと言われており、実際に使用した水時計が発掘されています。これをみると水の入れ方により時間の誤差が出ないような工夫がなされており、時間を平等に分配することに大きな神経が払われていたことがわかります。
これらの期間のもとで最盛期には700人にのぼる役人がはたらいていました。将軍、財務官など選挙で選ばれる少数の役職をのぞいては、役人はすべて抽選で選ばれ、任期は原則一年、再任・重任は認められません。どんな職務にも複数の人間が割り当てられました。役人は任命されるさいに立派なアテナイ市民であるかどうか審査を受けました。任期満了に伴う執務審査は苛烈をきわめ、まずは業務報告書の提出が求められ、ここで問題ありとされると訴追され民衆裁判所送り。執務報告を出さなかったらもちろん告発。これをのがれても執務審査官という役人による審査が、日中にアゴラに座って一般市民から当該年度の役人の不正行為についての告発を受けつけます。ここで訴えられるとまた民衆裁判所送りです。さらに権力の中枢を占める人々のために特別の弾劾裁判が用意されていました。ポリスの転覆を企てた罪で訴追されるので、有罪となるとたいてい死刑です。特に将軍が次々にこの裁判にかけられました。
アテナイは権力をにぎる人間を次々と抽選という偶然の原理をもってして循環させ、しかもそのときに権力を握ることになったすべての者に裁判制度によって厳しい行動監視の目を光らせました。「ここで注目すべきは、アテネ市民がいわゆる『公務員の倫理』のようなものに最初から期待していないどころか、むしろ露骨に不信感を抱いていたことだろう。A・H・M・ジョーンズの表現を借りれば、「権力の誘惑に抵抗する人間の能力」というものを、彼らは一切信用していなかったのである」(123–124ページ)。