ヨーロッパ=ユーラシア関係史の動向 小澤「モンゴル帝国期以降のヨーロッパとユーラシア世界との交渉」

  • 小澤実「モンゴル帝国期以降のヨーロッパとユーラシア世界との交渉」『東洋史研究』第71巻、第3号、2012年、181–196ページ。

 13世紀から16世紀までのヨーロッパ=ユーラシア関係史の研究動向を整理し、今後の展望をしめした論考です。有用な文献情報が満載なので手元においておきたい一本と言えます。

 ラテン・カトリック圏とギリシア正教圏がイスラム世界を超えてユーラシア世界を意識するようになったのは13世紀半ばのモンゴル帝国の拡大以降のことです。モンゴル=ヨーロッパ関係史は佐口透『モンゴル帝国と西洋』平凡社、1970年や杉山正明モンゴル帝国と長いその後』講談社、2008年、そして近年ではP. ジャクソンのThe Mongols and the West, 1221–1410 (Harlow, 2005)によって研究されてきました。各論的には商業史とキリスト教の拡大という視角がモンゴル=ヨーロッパ関係史の中心をしめてきました。今後深められるべき問題点として、ヨーロッパ側のユーラシア認識が商人なり宣教師たちがもたらす情報によりどう変化・深化したのかを探る必要があります(ライヒェルト『世界の発見』)。その際には報告書や図像、地図史料の分析とならび、これまで言語学者が主に研究の対象としていた当時の辞書を歴史史料として着目することが有用となるでしょう。またそもそも従来のキリスト教世界に代わってヨーロッパという共同意識が芽生えたのが中世後期でした(Hey, Europe: The Emergence of an Idea)。この芽生えにモンゴル帝国オスマン帝国という外部からの圧力がどう作用していたのか。ギリシア正教圏ではたとえばコンスタンティノープル陥落後にオスマン帝国のスルタンにつかえたキリスト教知識人に目配せすることがあらたな知の交流と伝承の側面を明らかにしてくれます(Monfasani, Amiroutzes)。ギリシア正教世界の一部でありながら、ラテン・カトリック世界とユーラシア世界の双方から接触・影響を受けていたロシアという地域は、とりわけ広域的な視野からのアプローチを求めていると言えます。外部世界との接触は性質や規模こそ違ったものの、すでに中世初期から起こっていました(フォルツ『シルクロードの宗教』)。モンゴル帝国期以降の関係史も、この長きにわたる接触・交流の歴史の一部として見られる必要があります(Borgolte, "Mittelalter in der größeren Welt")。