アリストテレスに満ちた空間 日本哲学会第72回大会

 日本哲学会の第72回大会に参加してきました。アリストテレスに関する発表4本と、これまたアリストテレスをめぐるシンポジウムのことを書き残しておきたいと思います。

 まず文景楠「質料形相論の射程」。アリストテレスの質料形相論といえば、形相の方に目が向くことが多いなか、質料に注目した発表でした。「何かの質料になりうるもの」のうちには、第一質料から「その何かの形相と結合しうる質料」までのグラデーションがあり、この段階のうちのどこに焦点を当てるかは問題となっていることの性質によるという論旨であったと思います。ここで私などはそのグラデーションのそれぞれに対応する形相があるよね、と考えてしまいます。中世の人ならきっとそう考えるだろうなと思って。ただそのように理論に柔軟性を持たせるための部分を、再度質料形相論で詰めていくと、アリストテレスが本来は念頭においていなかったまさにスコラ的な議論に陥るのでしょう。こういう中世と現代のあいだにある距離の感覚を与えてくれる発表は実にありがたい。
 加藤喜市「快苦をめぐる「諸説」と「現われ」 アリストテレス倫理学の方法論について」。アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で与えている快楽についての二種類の説明が、相互に両立しえないと考え、その矛盾を彼の学説の発展を想定することで説明するというものでした。稲村一隆「交換における正義 アリストテレス『ニコマコス倫理学』5巻5章の位置づけ」。従来経済学の視角から分析されてきたアリストテレスの交換論を、彼の政治学にみられる応報観念の一つの適用例としてとらえます。疑う余地のないほど正しい解釈の道筋であるように思えました。酒井健太朗「『分析論後書』Β 巻 第19章における 第一原理の問題」。論証の第一原理を概念と、その概念の分析から出てくる命題であるとする発表でした。これが正しい結論なのか(あるいはそもそもアリストテレスの残した文章から、第一原理の性質を確定できるのかどうか)ということは私には判断できませんが、議論に値する説得力を備えているように感じました。第一原理の正体について、古代以来どのような考えが提出されてきたかを知りたいと思うのは、私がアリストテレス哲学を歴史学の対象としてみているからですね。

 シンポジウム「アリストテレスを見直す その背景と達成、そして遺産」は2本の論考から成りたっていました。神崎繁アリストテレス哲学の端緒 「働きを受ける能力(dynamis)」と「奥行きのある世界」」。私にとってこの論考のポイントは、プラトンアリストテレスがどう読みかえているかをその手つきの細部まで見えるような形でえがきだしている点です。アリストテレスの哲学がプラトン哲学への批判のうえに成り立っていることを知らない人はいません。しかしその批判の語彙がプラトンの用いたものを流用して転用したものであることが多いという事情は、それほど認知されておらず、まして網羅的に流用事例が検証されているとは思えません。このような筋でのアリストテレス読解が今後も進むことを期待したいです。中畑正志「見ていることを感覚する 共通の感覚、内的感覚、そして意識」。現代の意識についての問題を皮切りにしながら、それを単純にアリストテレスにさかのぼらせることはせず、むしろアリストテレスは現代と(もデカルトとも)厳密には重ならない領域について、彼独自のやり方で応えていたことを浮き彫りにする論考です。また質疑応答のなかで、実はここでもアリストテレスプラトンが少しだけ触れた問題を真剣に議論の俎上にのぼせて、一つの理論を構築していたことを知ることができました。神崎論考と同じく師の影を弟子のうちに感じた瞬間です。

 発表も質疑応答の水準も総じて高く、知的に満足のいくアリストテレスライフを2日間過ごすことができました。このアカデミックな側面での達成度の高さは古代哲学の醍醐味ですね。またシンポジウムにはとても多くの人が詰めかけておられて、実に哲学の世界はまだアリストテレスに満たされているのだなと実感しました。