アッバース朝支配と翻訳運動 グタス『ギリシア思想とアラビア文化』第I部

ギリシア思想とアラビア文化―初期アッバース朝の翻訳運動

ギリシア思想とアラビア文化―初期アッバース朝の翻訳運動

 アッバース朝下でギリシア語の哲学文献がアラビア語に翻訳されたことはよく知られています。なぜこのようなことが起きたのでしょう?この原因をたとえばカリフの個人的な好みに帰することはできません。それではとても説明できないほどにこの翻訳運動は組織的に、持続的に、そして大量の資本の投入のうえに行われていたのです。何らかの社会上の需要に応えるかたちで翻訳活動は行われたと考えなければなりません。この問題に取りくんだ基本書の前半部をまとめます。

 伝承によるとアラビア語への翻訳運動を開始したのはアッバース朝の第二代カリフのマンスールです。彼が翻訳運動を開始したのは、彼がイスラム台頭以前にペルシアを支配していたサーサーン朝のゾロアスター教イデオロギーを継承したからでした。ゾロアスター教の伝統によれば、あらゆる知識はゾロアスターと『アヴェスター』に由来しており、その知識はアケメネス朝に引き継がれていました。しかしアレクサンドロスの征服活動により、その知はギリシア人をはじめとする人々に奪い取られ、それらの言語へと翻訳されます。逆に征服されたペルシアではペルシア語での伝承はなくなってしまいます。3世紀に成立したサーサーン朝はゾロアスター教を国教とさだめ、アケメネス朝の後継者を自認します。王朝の支配のもとで太古のペルシアの知識を回復するために、ギリシア語からペルシア語(パフラヴィー語)への哲学・科学文献の翻訳が行われました。

 カリフ・マンスールはまさにこのゾロアスター教イデオロギーにもとづく翻訳活動を、自らの支配する国家に取り込もうとしたと考えられます。新たな首都バグダードの周辺には、ペルシア人(ないしはペルシア人・文化と深い関係を持つ人々)がおり、アラブ人の王朝に代わるアッバース朝にとって彼らの協力をあおぐことが不可欠でした。同時にそのようなペルシア系の人々はアッバース朝の支配に抵抗もしており、その時にゾロアスター教の復興(及びそれを通じてのペルシア帝国の再興)を旗印に抱えていました。そこでマンスールは自らの支配権についてはいささかも譲歩することなく、しかしイデオロギーのレベルではペルシア系の人々を支配に取り込むために、知を翻訳によって吸収するというゾロアスター教の理念を受け入れたのです。アッバース朝はアケメネス朝より続く正当なペルシアの支配者としてふさわしいと示すためでした。こうしてアッバース朝支配下のもとで哲学文献のアラビア語への翻訳が始まることになります。

 マンスールの息子のマフディーは、アリストテレスの『トピカ』の翻訳をキリスト教徒の司教に命じたと伝えられています。議論の技術がしるされた『トピカ』の翻訳がなぜ求められたのでしょう。それはアッバース朝がかかげたイスラムにおける普遍主義と平等主義から来るものでした。ウマイヤ朝のもとのアラブ人支配を打倒したアッバース朝は非アラブ人ムスリムを政治的に重用しました。ムスリムであれば等しく尊重されるという原則は、アラブ人の枠を超えてイスラム教を広めることにつながります。こうして大規模な改宗政策が展開されることになりました。これによりイスラム教には、マニ教キリスト教ユダヤ教といった他宗教にたいして自らの教義上の優位性を示す必要が出てきました。この需要に応えるためにマフディーは議論の技術書である『トピカ』の翻訳を命じたと考えられます。同時にマニ教ゾロアスター教という二元論的世界観を持つ宗教と対峙することにより、イスラムは世界観レベルでもその教義を発展させる必要にせまられました。これがアリストテレスの『自然学』の翻訳をうながしたと考えられます(この点は三村太郎さんの研究で敷衍されています)。

 アッバース朝における翻訳活動はゾロアスター教イデオロギーの継承と異教徒との対決という要因によって促進されてきました。しかしカリフ・マームーンはこのうち前者のイデオロギーを放棄します。彼の当時すでにこのイデオロギーを維持することは実効性を失っていました。内戦のすえにカリフとなるという困難な状況に直面していたマームーンが代わりに採用したのが、カリフを中心とする中央集権的な政治体制、及びイデオロギーでした。しかしここにおいてもなお翻訳運動は停止したわけでもありません。むしろ翻訳活動はマームーンのあらたな中央集権イデオロギーにおいて大きな意味を持ったと考えられます。彼は宗教について、カリフと独立した知識人が権威を持つことを許しませんでした。そこで彼は自らの下に知識人たちを集め、そこで教義について論争させることにしたのです。この論争の最終的な裁定者はカリフ以外にいないとされ、ここにカリフ中心の宗教体制は維持されます。この知識人の保存と彼らのあいだでの議論の促進にとって、ギリシアの文献をアラビア語に移しかえて得られるリソースはおおきく貢献したのです。

 マームーンはまた神の代理人としてのカリフを自認し、イスラムの守護者であると宣言していました。そこから彼は隣接するビザンツ帝国にたいして本格的な戦争を開始します。この反ビザンツ政策を遂行するにあたっても、翻訳活動の継続は大きな意味を持ちます。マームーンとその周囲のものたちは、ビザンツ古代ギリシアの知的遺産を継承しそこねた劣った文明であると描きだした。理性を恐れるキリスト教のために、ビザンツは古代の合理的な思考法を放棄してしまったというのです。これにたいしてイスラムアッバース朝はガレノスやアリストテレスをはじめとする古代ギリシアの知的遺産を翻訳活動を通じて十分に吸収している。ここから国家としてビザンツよりもアッバース朝は優れており、また宗教としてイスラムキリスト教に優越するという議論が立てられます。こうしてマームーンたちはビザンツというのは自分たちの国家により消し去られても問題ない、というかむしろ消し去られるべきであると主張したのです。