変容するライプニッツの質料形相論 Garber, "Leibnizian Hylomorphism"

Matter and Form in Early Modern Science and Philosophy (History of Science and Medicine Library / Scientific and Learned Cultures and Their Institutions)

Matter and Form in Early Modern Science and Philosophy (History of Science and Medicine Library / Scientific and Learned Cultures and Their Institutions)

  • Daniel Garber, "Leibnizian Hylomorphism," in Matter and Form in Early Modern Science and Philosophy, ed. Gideon Manning (Leiden: Brill, 2012), 225–43.

 質料形相論をめぐる論集の最後を飾るのはダニエル・ガーバーの力作論文です。本論集のクライマックスというにふさわしい出来ばえです。ライプニッツ哲学における質料形相論の変遷を追った論考、心して読みましょう。

 1668年に書かれた実体変化についての論考のなかで、ライプニッツは質料形相論を支持しています。彼によれば物体が実体と呼べるのは、それが彼が "concurrent mind" と呼ぶところのものを持っているからです。人間の場合このマインドは私たちの精神であり、その他の物体の場合は神ということになります。聖餐式のときにパンがキリストの身体に変わるのは、パンがキリストの精神を有するようになるからです。ライプニッツはこのマインドのことを実体形相とも呼んでおり、自分の学説はスコラのアリストテレス主義と一致するとしています。このようにライプニッツの実体論はアリストテレス主義であったものの、他方で彼の物体論はホッブズ的でした。物理世界のすべては物体の大きさ、形、運動から説明することができる。唯一認められる力というのは運動に外ならない。以上のような実体論と物体論のあいだには矛盾こそありませんでした。しかし若きライプニッツの世界観のうちに緊張があったのは確かです。

 この緊張が解消されたのは約10年後のことでした。1679年10月に書かれた手紙のなかで、ライプニッツは「私は論証的に実体形相を復活させ、実体形相を理解可能なかたちで説明している」と書くに至りました。ここにおいてライプニッツは物理世界の説明にも質料形相論を拡張したと言えます。

 なぜ拡張したのか?二つ理由がありました。そのひとつは実体の単一性に関する考察から来るものです。これはアルノーとの文通(1686–1687年)でライプニッツが表明したものです。そこでライプニッツデカルトの世界像を批判します。もし世界が無限に分割可能な延長からできているとすると、「決して本当の存在(real entity)にたどりつかない」。どこまでいってもある物体はそれより小さな物体の集合に過ぎず、その集合はまたそれより小さな物体の集合に過ぎない。すると世界にはおよそ集合体しか存在しないことになるが、それらの集合を構成するどの部分もさらに分割可能な集合体に過ぎず、どこにも物体の実体性を担保するものがなくなるというのです。だから、この無限に分割可能な集合の構成要素のそれぞれが自身の実体形相を持ち、それにより物体の実体性が確保されねばならない。こうライプニッツは考えました。

 ライプニッツが質料形相論を物理世界にも適用したもう一つの理由は、運動をめぐる考察からでした。もしホッブズがいうように、運動が場所の変化に過ぎないならば、ある物体が移動しているか移動していないかは、どこを静止した場所として理解するかという点に依存することになります。問題なのは基準点の取り方であり、任意の物体の運動・静止は重要性を失います。しかしすべてが物体の運動から説明されるという立場にとって、この帰結は容認しがたいものです。そこでライプニッツは「大きさ、形、運動とは異なる何か」としての力を導入し、これを実体形相とみなしたのです。

 運動に関する考察にはもう一種類あり、それは抵抗をめぐるものです。ここはよくわからないところなのですけど、どうやらライプニッツは同じ速度で移動している物体でも、カサが大きいものほど速く減速するということを説明するためには、物体自体に抵抗力があると認めねばならぬと考えたようです。したがってデカルトのように物理世界は延長だけからなるのではなく、物質に抵抗力を与える実体形相を想定しないといけないことになります。

 ここまでのライプニッツの理論は確かに質料形相論です。しかしそれは質料と形相が同程度の重要性を持って世界を形成しているという意味での、「ディープな」質料形相論ではありません。それはむしろデカルトの理論では説明できない事象を、物質に実体形相をひもづけることでとりあえず説明したという印象を与えます。

 しかし1680年ごろよりライプニッツの質料形相論は変容を開始します。彼は世界のうち能動性を形相に、受動性を質料に振り分けはじめるのです。ライプニッツは能動的な力と受動的な力を想定し、さらにそれぞれを第一次的なものと派生的なものとに区分します。このうち第一次的な能動的力とは物体にある実体形相のことです。これが実体の単一性と運動を説明します。たいして第一次的な受動的力とは、スコラ学者たちがいうところの第一質料を構成するものであり、これが物体の分割可能性(延長性)と抵抗(不可入性)を説明します。これらの力の派生形態とはこれらの力が他の物体(これも力からなる)との関係性のなかで修正を加えられた状態ということになります。この自然世界に存在しているときの能動・受動の派生的力を私たちは観察しているというのです。世界が結局はこれらの力から構成されているからこそ、物体が幾何学的な手法で説明できることになります。デカルトが想定したような大きさ、形、運動の背後には力があるのです。

 1670年代後半以降のライプニッツは当初、実体の単一性、運動、抵抗を形相に帰し、物体の延長性を質料に帰していました。80年代以降は、実体の単一性、運動は依然として形相から説明されたものの、その抵抗は質料と結びつけられました。こうして形相が能動性をにない、質料が受動性をになうことで彼の質料形相論は(スコラ学の質料形相論がそうであったように)「ディープ」なものとなります。しかし同時にそれら能動性と受動性のすべてが究極的に力と同一視されるという特異性もまた彼の理論は持ち合わせるようになりました。こうして80年代までに確立された特異な質料形相論のうちに、90年代以降モナド理論が入り込むこととなります。