末世における主神崇拝 川村『戦国宗教社会=思想史』

戦国宗教社会=思想史: キリシタン事例からの考察

戦国宗教社会=思想史: キリシタン事例からの考察

 「キリシタンの世紀」についての最新の研究書の第1章を読みました。戦国時代におけるキリスト教の移入を組織論を入り口に考察することで、問題全体を広い視野からとらえることに成功した傑作です。16世紀に日本に入ってきたキリスト教は、その組織面で大きな特徴を持っていました。信徒たちは教区制によってではなく、むしろコンフラテルニタス(信人会、兄弟会)制によって組織化されていたのです。コンフラテルニタスとは、司祭・聖職者の介入なしに自主的に信徒たちによって運営される組織のことで、西洋では13世紀に組織化され、黒死病後の教区制機能不全にともない活発化していました。特徴は強い終末意識のもと、罪の悔い改めと来世での救済を強調する点にあります。この制度が日本に移入されました。まずは医療施設として形成された日本のキリスト教共同体は、コンフラテルニタスの規則を与えられ、不治の皮膚疾患の患者を看護したり、道で行き倒れた死体を埋葬するなど、病穢・死穢を避けない活動を行い、その勢力を拡張していきました。村落共同体にある民間祭壇の管理人の指導のもと信徒たちが自主的に信仰生活を送ることとなったため、ここに宣教師がおらずともキリスト教が存続する土壌が形成されます。これが禁教以降も200年以上に渡り信仰を密かに守り続ける潜伏キリシタンを可能にしました。

 なぜキリスト教はコンフラテルニタス制のもと当時広まったのでしょうか。人口が多く見積もっても1000万人のところで、3,40万人の信徒が最盛期には存在するというのは相当の数です。この問いに答える鍵となるのが、キリスト教伝来以前に広まりを見せていた浄土真宗本願寺派です。この派はキリスト教といくつかの特徴を共有しています。八百万の神や諸仏を崇拝することが盛んななかで、阿弥陀如来への絶対的帰依を説くという主神崇拝的信仰形態を有すること。組織の基本構成が道場という村人が互助的に形成したセンターを中心になされていること。その道場を管理するこれまた村人である指導者がいたこと。道場では親鸞蓮如の教えを簡潔にまとめた談義本が回覧されていたこと。これらの要素は、唯一の神を信じ、コンフラテルニタス制というリーダーを含めて信徒の自主的互助組織を形成し、そこでカテキズムを共有して信仰生活を送っていたキリシタンと重なります。実際、浄土真宗本願寺派キリシタンが人的にも地域的にも交差していることが史料から伺えます。

 ではなぜこのような特徴を共有する二つの宗教が隆盛したのでしょう。ここで気候変動に着目する歴史記述に目を向けねばなりません。1400年を境にして日本が慢性的な飢饉と疫病に襲われていました。小氷河期とも呼ばれる気候変動によって引き起こされたこの危機は、室町幕府を機能不全に陥らせます。中央の衰退にともない地方は生き残るための手立てを考案する必要がありました。裏作の発展や灌漑施設の共有化とならび、この生き残りに大きく寄与したのが宗教でした。宗教が人々を団結させ生き残りの可能性を高める役割を果たしたのです。この役割を果たすのに好適であったのは、従来の多神崇拝的宗教ではなく、むしろ一つの神に崇拝を集中させ、しかもこの世のみならずあの世における信仰共同体の存続を保証する蓮如真言本願寺であり、キリスト教でした。

 欧州のコンフラテルニタス制は14世紀の気候変動後の危機から生まれる終末論的不安を前に、来世での救済を求める民衆の共同体でした。同じく日本では終末論的不安ならぬ末世という感覚のもと、あの世での阿弥陀如来の救済なり、デウスによる救済が、民衆の互助的な組織を基礎に希求されたのです。「単なる比較史、一国史の枠組みを超えて、16世紀(戦国期)の日本をグローバルな観点[ここでは北半球に共通する気候変動]から位置づける」(13ページ)道がここにひらかれているのです。