星の支配への抵抗 山内「中世における占星術批判の系譜」

科学思想史

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 占星術の基本的理論的枠組を解説したあと、アウグスティヌストマス・アクィナス、ニコル・オレームといった論者に見られる占星術批判のあり方を検証する論考である。

 古代から中世までの占星術は、月より上の世界と月下界が質的に異なるという二世界体系の枠組みのなかで営まれていた。そこでは天が法則的な運動をし、そこから地に何らかの影響が及ぼされていることは明らかであった。しかしその影響の範囲と程度はどう確定すればいいのか。天体の活動が気候へどう与えているかを検証する自然占星術が疑問視されることはほとんどなかったものの、未来の出来事、とりわけ未来に個別的な人間が何を経験するかをホロスコープで占うような、出生占星術は多くの場合その価値が疑問視された。

 西洋世界の占星術を体系化したのはプトレマイオスであり、なかでも『テトラビブロス』が以後の占星術の理論的出発点を形成した。プトレマイオス以降の占星術にたいして影響力のある批判を行ったのがアウグスティヌスだった。占星術が自由意志を否定しかねない宿命論に帰着することを警戒した彼は、双生児が異なった人生をたどる事例をあげて、出生や受精時の星の位置が人の運命を決定するとは考えられないとした。また何をいつなすべきかをうらなう占星術(選択占星術)についても、同じときにまったくことなることが世界中で起きているのだから、ここからも星の配置が世界の出来事を決定していると考えることはできないと論じた。

 アラビア世界では、アッバース朝が体制維持のために占星術を重視したこともあり、多くの占星術書が書かれた。『テトラビブロス』が訳され、アル=バッターニー『ケンティロクイウム』やアブー・マアシャルの各種占星術書が生まれた。このように占星術が盛んに行われたアラビア世界ではあったものの、それでも問題なく認められていたのは、天が地に影響を及ぼしているという宇宙論的枠組みの部分であり、個人の未来を占う術となるような占星術の領域には疑問の目が向けられていた。

 同じ考えはラテン中世世界にも見られる。トマス・アクィナスは現象を救う数学的学問としての天文学と区別して、宇宙の実在の構造によりながら天からの影響を議論する学問領域があることを認めている。しかし彼はそこから決定論的結論が導かれることには強い警戒感をしめす。なるほど天から地への影響はあるだろう。しかしそれは地の側のさまざまな状態と連動して現象を引き起こすのだから、天の配置のみから地上での出来事を知ることはできない。また人間は意志と知性を持っており、これらにより身体が天より受けた影響を制御することができる。これらから天が地を完全に制御しているかのような観点はしりぞけられる。

 同じ占星術批判でもニコール・オレームによるものは、より占星術の論理に内在したものだった。第一に彼は天の星の運行のそれぞれが一定時間内に天球上を動く距離が、別の距離と比で表すことのできない可能性を考察する。もしそうだとすると将来の天体のたとえば合を予測することはできない。これにより占星術は不可能となる。第二にいまの天とまったく同一の状態の天は過去にも未来にもありえない可能性がある。もしそうだとすると、天からの影響というのはその都度一回きりのものであり、そこから法則性を読みとることはできない。これによっても占星術は不可能となる。

 その後ルネサンス、初期近代にはいると、占星術はまたもや批判を受けながらも実践され続ける。ここに立ちいるのは本稿の課題ではないものの、とにもかくにも長きにわたって命脈を保ち続けた占星術の歴史は誤解論の観点にたって書かれねばならないとして、著者は論考をしめくくっている。