叙述偏差から探求される社会 ライミッツ「カロリング期における歴史叙述抜粋集の社会的論理」

 20世紀後半にあらわれたテクストに関する理論は、書かれた作品にたいする私たちの理解を変えてきた。テクストはもはやその作者がそこに込めた意味を読みとるためだけのものではなく、むしろそれが生みだされ受けいれられる社会的現実をうかがわせるものとしてとらえられるようになる。この転換は中世史の領域では、「オリジナル」にたいする排他的関心への警戒というかたちであらわれた。写本群を現存しない直筆原稿(ω)を復元するための道具としてのみみなすのではなく、それぞれの写本をそれが生みだされ、受容された社会的論理と付きあわせながら理解しようとする研究が生みだされた。たとえばスティーブン・ニコルズが「なぜ物質文献学なのか?」という論考で提唱したのは、文学作品をオリジナルのうちにではなく、現存する写本のうちに物的に存在するものと理解することであった。ガブリエル・シュピーゲルは「歴史、歴史主義、そして中世におけるテクストの社会的論理」という論文で、中世年代記の諸々の版を題材に、それぞれのテクストを一つの出来事とみなし、それがいかなる社会的論理への応答としての言語使用であり、またそれらが読まれることでいかに社会の側を構成していくかを明らかにした。

 本論文ではシュピーゲルの問題意識を引きついで、カロリング期の歴史叙述抜粋集の写本を検討するものである。細部の専門的議論を復元するのは容易ではないが、議論の筋は明確である。まず9世紀にフランス北西部で3つの歴史叙述テクストを組み合わせた写本がつくられ、それから100年以内に同一の3つのテクストを組みあわせた写本が2つ制作されている。これらは同一のテクストを含んでいるとはいえ、それらのあいだには微妙な違いがある。もしこれらの歴史叙述抜粋集がそれらがつくられたときの社会的論理(複数ありうる)の一部を構成しているなら、それらのあいだの差異からこそ社会的論理の通時的な変化が検証できる。このような見通しのうちにたって、3つの写本の分析が行われる。同一だが微妙に異なるテクストの組み合わせが、時と場所を変えながら生産され、読まれているという事象が、テクストの背後にあり、かつテクストがそこに関与し構成しようとしていた社会的論理の通時的復元に好適であるということである。