- Jonardon Ganeri, "Well-Ordered Science and Indian Epistemic Cultures: Toward a Polycentered History of Science," Isis 104 (2013): 348–59.
こちらについてはすでにすぐれた要約があげられているのでここではコメントだけをする。
例によって中心(=西洋)・周縁モデルから脱しなければならないという前提から話がはじまる。科学と近代(このふたつは無反省に重ねられているように読める)が本質的にヨーロッパに起源をもち、それが各周縁に拡散したと考えてはならない。むしろ科学・近代が多数の地域にあったと考えるべきだという(多中心的と呼ばれる)。ここからわかるように著者は科学や近代に定義を与えることを否定するわけではない。むしろ科学哲学の成果を援用して、科学の方法論の基礎には多角的視点の確保、人員の相互の対話、対話のすえの同意への到達という、民主主義的な価値観と手続きがあるという。この科学の定義に合致する価値判断や手続きの整備の提唱が古代インドのジャイナ教や仏教文献にみられることが、科学が本質的にヨーロッパのものということの反証となるという。
以上の著者の主張からはその意図とは正反対に、科学の手続きを本質的にヨーロッパ(というか古代ギリシア)産のものとみなす姿勢がうかがえるように思う。科学や近代の基底に民主主義の理念をみているからそうなのではない。そうではなく宗教文書にある指南のうちに民主主義の手続き論と類似のものを見つけたことから、ただちに科学や近代の存在を想定しまうところに、欧州の外に欧州的なものを探すというヨーロッパを中心とした視角がはっきりとあらわれているということだ。宗教や思想の文書にある表現が、どの程度社会のあり方とかみ合っていたのかが確認されないかぎり、皮相な比較思想史が欧州をその中軸として展開されてしまう。
ただ本論で著者が目指していることはなにほどか熟考に値するように思う。それは科学なり近代なりに定義を与える試みについてだ。これらに定義を与えることは実際問題としてきわめて困難であるうえに、著者が問題としているようにヨーロッパを中心とし他を周縁とする史観におちいりやすい。そのためたとえば科学史研究者は(近代)科学の本質的特徴を抽出することをひかえ、みずからが対象とする時代と地域のうちで、自然に関する知識を獲得するという営みがどのような活動であったのかを検討するようになった。そこで問題となるのは検討される知識と現代の科学との距離ではなく(この基準を持ちこむとアナクロニズムとしてフルボッコにされる)、特定の時空間のうちにその知識をどう位置づけることができるかだ。このやり方をとれば専門誌に掲載されるモノグラフは書くことができる。それだけでなくまさにこのやり方をとることで、同じ(あるいは隣接)時空間の異なる側面を研究している他の歴史研究者との対話が促進される。
しかしたとえば科学史の講義をするときに、科学に定義をあたえないですますことができるのだろうか。あるいは科学史研究者として社会に提供できる知見を考えたときに上記の姿勢を貫けるか。科学をなんらかの指標として、(過去や現代における)複数の社会の性質を区別し記述することができないことは、私たちの認識にとってマイナスでないか。そこを埋められない科学史とは。[同種の問題はじつは歴史学一般にあてはまるように思われる。]
これにたいしていくつかの応答が考えられる。問題とすべきは自然に関する知識(あるいはよりひろくとって知識や学問)をめぐる歴史的考究であり、科学史とされている学問はそこに寄与すればいい。たとえば科学にこだわるよりも、およそ(自然についての)知識が信頼を獲得するプロセスを調べたほうが生産的だろう。いや特定の時空間とそこでの(自然に関する)知識との対応を事例を通して考えることで、(たとえば社会学からとられた)分析概念への理解を立体的にすることができる。これにより研究領域が離れた研究者間の対話が可能となるだけでなく、現代の問題への理解すら深まることがあるのではないか。云々。