ヨーロッパの自己像としての科学史 Daston, "The History of Science as European Self-Portraiture"

 科学史をヨーロッパ文明の自己像とみなしてその歴史をたどる論考である。設定された時間枠組みの大きさ、学問分野そのものへの歴史的視点からの反省という問題意識、最新のヒストリオグラフィの適切な解説、そして文章表現の巧みさがあいまって、科学史学への入り口のひとつとして読んでもらいたくなる(注がないのが悔やまれる)。

 科学の歴史記述には、つねにヨーロッパがおのれの文明をいかに理解していたかが反映されてきた。ヨーロッパを一つの文明圏とみる見方は古代からある。また中世ではヨーロッパは自らを東方よりも劣る存在とみなしていた。だが17世紀の終わり頃になると、ヨーロッパ(とりわけオランダ)の地理探索者たちは、ヨーロッパ文明は他に優る特権的な文明とみなしはじめる。科学はその優越性のもっとも明白な証拠とみなされた。この認識を下支えしたのが、17世紀とそれ以前をするどく分ける歴史観である。ダランベールは『百科全書』の序文で、中世にはなかった行動と思考の自由が17世紀には可能となり、科学上の大きな発見が連続するようになったと論じている。リベラルな社会でしか学問の進展は起きないという観点だ(19世紀の理論家が中国が科学技術の面でヨーロッパに遅れをとるようになった理由を説明したときにも同じ根拠が持ちだされることになる)。同時に啓蒙の知識人たちは彼らの理想とするリベラルな社会は現実にはまだ到来していないとも考えていた。そこで科学こそが理想的なリベラルな活動のモデルと見なされるようになる。証拠に基づいて新たな知識が提出され続けながらも、無法状態には陥らずに累積的に知識が蓄えられる。この結果、「革命」という語彙は19世紀にいたるまで科学者の語彙のうちではじょじょになりをひそめていった。

 19世紀半ばごろより、科学の発展についての見方が変化しはじめる。その進展の速度があまりにはやく、世代を経るごとに状況が変化するというよりも、ほとんど年ごと、いや月ごとに科学理論の様相が変わってしまうようになった。科学史は安定した知の蓄積というよりも、美しくはあるがすでに用済みになった科学理論の廃墟にみたされた風景の描写として観念されるようになる。この科学史観もまた19世紀後半以降のヨーロッパの自己像を反映したものだった。近代とはもはや暗黒の中世の後に訪れた光の時代としてではなく、わずかのあいだにすべてが変化し、安定したものは何も残らない激動の時代と捉えられるようになった。その激動を駆動する主要な要因は科学技術とみなされた。こうしてモダン・サイエンスはモダニティと結びつけられ続けたのである。

 20世紀半ばにいたるころまでには科学史という分野はもっとも歴史的であると同時に非歴史的である領域になっていた。歴史的であるというのは科学がきわめて速い速度で変貌を遂げ、社会変動をうながすとみなされたからである。非歴史的というのは、科学活動のうちで行使される手法や理性は、たとえいかなる理論変動があったとしても不変だと考えられたからだ。科学を導く理性こそは、戦争と暴力にまみれた20世紀前半を経験した知識人たちのより所となっていた。たしかにヨーロッパ文化の本質は科学にあらわれていないかもしれない。それでもそこにはヨーロッパ文化の最良の価値が現れている。

 理性の歴史としての科学史が揺るがされはじめるのは、1980年代にはいってからである。できあがった科学理論ではなく、それが生みだされるさいの実践的活動へと科学史家たちは研究の焦点を移しはじめる。科学知識を生みだす実践が歴史的コンテキストといかに結びついていたかが問われ、研究対象が物質的、文学的、政治的側面へと拡張した。17世紀に生まれた新しい科学活動もまた、当時存在していた様々な領域での活動の形態を借用し、ハイブリッドすることから生まれたものとみなされはじめる。科学革命期はもはや闇から光への移行の時代とはとらえられないものの、新たな活動様式が生みだされた時代として、他の時代の科学史研究にモデルを提供する時期としてあり続けている。

 科学の歴史を徹底的に歴史化する動きは、経験、実験、事実、精密性、客観性といった科学活動を導く理性を構成するとみなされる要素すら、歴史の産物であると主張するようになった。この動きは相対主義であるとして反発を招いている。しかしこれは理性や真理の存在を否定しているのではない。現在の科学がもっとも信頼に値する真理性と理性的判断の基準を提供していることにまで疑いを差しはさむ必要はない。ただそれがそれが歴史を超えて不変であるということを疑問視しているのである。

 ヨーロッパ文明ほど自らのアイデンティティを定めるために科学史に頼ってきた文明はない。科学史が徹底的に歴史化されたとき、ヨーロッパ文明の自己像はいかに再描写されるのだろうか?