ルター派の形成と自然哲学 Methuen, "On the Problem of Defining Lutheran Natural Philosophy"

  • Charlotte Methuen, "On the Problem of Defining Lutheran Natural Philosophy," in Religious Values and the Rise of Science in Europe, ed. John Brooke and Ekmeleddin Ihsanoglu (Istanbul: IRCICA, 2005), 63–80 [repr. in Methuen, Science and Theology in the Reformation: Studies in Theological Interpretation and Astronomical Observation in Sixteenth-Century Germany (London: T&T Clark, 2008), ch. 8].

 宗教改革と自然哲学という問題に正面から問いを投げかけた論考である。論述の筋は必ずしも明確でない。だがルター派に独特とみなされがちな考えが宗派にまたがってみられるというだけでなく(これはしばしばみられる指摘である)、そもそも16世紀後半になるまで宗派のアイデンティティや境界が流動的であったり不明確であったことを的確に指摘し、この宗教的にも政治的にも流動的であった状況のなかでこそメランヒトンが果たした役割をみなければならないと指摘している点はさすがである。これはメランヒトンに依拠してルター派的なるものを語るというKusukawa以降の研究動向に釘を指すものとして読める(ただKusukawa本人の論述は相当に慎重である)。この指摘はしっかり頭に入れておかねばならない。

 はたしてルター派的な自然世界のアプローチというものはあったのか。この問いには簡単には答えられない。そもそも一般的になにがルター派的であるかというが定めがたいからである。ルター派アイデンティティが固められていくのは、アウグスブルクの宗教和議の1555年から和協信条の1577年にかけての時期であった。この時期にカルヴァン主義との差別化もなされ、宗派としてのルター派の立場が固まってくる。ではこの時期以前について、ルター派といったときには何を指すのか。また以前のルター派とされる人々の考えは、ルター派のアイデンティが固まった時期以降のルター派信仰からみて、はたして「ルター派的」と言えるのか。

 このような各種問題があるなか、それでもルター派的自然理解が自然探求を推し進めたのではないかという見解は、科学史研究でくりかえし提出されてきた。たとえばRobert Westmanはヴィッテンベルク大学にいた自然哲学者たちは、コペルニクス太陽中心説にたいして特異な反応をしめしていたと論じている。このようなヴィッテンベルクの人々の態度の源流はフィリップ・メランヒトンにあるとされてきた。Sachiko Kusukawaによれば、メランヒトンは自然をあるがままに探求するという目標を自然哲学のうちにとりこみ、これにより自然哲学のうちに「ルター派的トレンド」を持ちこんだのだという。

 確かにメランヒトンは自然学のうちとりわけ天文学と解剖学に高い価値をおいていた。しかし彼はこれらの学問の推進を、あくまで旧来のアリストテレスの世界観の枠組みのなかで、一人の古典学者として行おうとしていた。後のルター派の大学での教育を見ても、そこでは以前アリストテレスが支配的であり、その補助としてメランヒトンの著作は用いられていた。この点からすると、メランヒトン自体が新たな世界理解をもとめて、自然世界の直接的探求を推進したとはいえない。だがそれでもメランヒトンが自然の観察を重視したことが、新たな自然哲学の出現を鼓舞したとはいえないのか。しかし観察の重要性はルター派のみならず宗派の違いを超えてみられたことが分かっている。

 メランヒトンの思想のもう一つの特徴として、自然世界に観察される秩序が、神の摂理をあらわにし、それゆえ自然社会の秩序のモデルとして機能できるという考えがある。だがこの自然世界に見られる摂理の重視をもってルター派的自然哲学のメルクマークとするのはむつかしい。まずメランヒトンの摂理観はルターというよりも、むしろツヴィングリに近いところがある。さらにメランヒトンの考えはカルヴァン本人はともかく、後のカルヴァン主義と深く関係することになった。実際16世紀後半の重要なカルヴァン主義者の中には、メランヒトンの弟子を自認している者たちが多くいた(たとえばTheodore Beza)。さらに摂理の重視はカトリック側にもみられる。どうやらこれは16世紀から17世紀初頭にかけての新たなスコラ学の展開に共通の特徴であったようだ。

 各宗派が異なる聖餐理解をしていたことはよく知られている。この違いがルター派カルヴァン派による異なる場所、空間、物質理解をもたらしたことを考えるならば、聖餐論が宗派化された自然理解をもたらした可能性は十分あると言わねばならない。

 以上からわかるように、自然世界へのルター派的アプローチというものを抽出するのは往々にして困難である。ルターの当初の仲間の見解が、後に定式化されたルター派アイデンティティからみてルター派的でないとされる場合もあった。その典型例がメランヒトンである。たしかに彼は自然観察を重視し、その姿勢は後の人々に継承された。だがメランヒトン以降の観察の重視は、必ずしもルター派的な動機に沿って行われたのではない。むしろ中央集権化していないドイツに数多くあった宮廷や、諸侯の意向が反映されやすかった大学内で自然探求を行いたいと考える者たちにとって、メランヒトンの著作は自らの営みに格好の権威を与えてくれる道具となったと考えた方がよさそうだ。このような人々が旧来の世界観を崩すことになる新たな成果を自然観察から生みだして行くことになる。一方でメランヒトンの哲学は、アリストテレス主義を基礎にした大学カリキュラムのうちにもとりこまれて行くことになる。そこでは場所・空間・物質理解において確かに宗派化された自然理解が現れることになった。