ルネサンス魔術の断片化と近代科学 Henry, "The Fragmentation of Renaissance Occultism"

  • John Henry, "The Fragmentation of Renaissance Occultism and the Decline of Magic," History of Science 46 (2008): 1–48.

 ルネサンス魔術と近代科学の関係について大きな見取り図を示した論考を読む。

 ニュートンは虹は七色からなると考えた。彼によれば、この七という数字は音楽のコードの数と対応しているという。この対応は、光にしても音楽にしても世界にある根本的な調和のあらわれであるという彼の信念によって正当化されていた。ここにニュートンが古代ピュタゴラス派が唱えた宇宙規模の調和の学説を支持しているのをみてとることができる。ニュートンはまた万有引力や微小な粒子間に働く相互作用を遠隔作用として定式化するさいに、自らの錬金術研究に依拠していた。近代科学の生みの親の一人の思考のうちに魔術的伝統の一部が流れこんでいるのだ。この事態を理解するために、著者は魔術的伝統の「断片化」という大きな見取り図を提示する。魔術を近代科学と対立するものとみなし、それが科学誕生に果たした寄与を頭から否定するのは間違いである。だが魔術の伝統がそのまま近代科学に接続するとするのも不十分だ。むしろ大学での学問から排除されていた魔術の伝統が初期近代に注目されると同時に解体され、その一部は近代科学に取り込まれ、一部は信頼できない営みとして捨てられるにいたったと考えるべきという。

 ルネサンスの魔術、ないしはオカルト的伝統というとき、よくある誤解はそれがなにか超自然的な力を行使するための営みであったというものだ。そうではなく魔術というのは事物のうちにある自然の力を操作する営みだとひろく考えられていた。事物の外形からその性質を知ることができる「徴」(しるし)の理論も、一見自然の領域を外れているようにみえるものの、最終的には経験的調査によって事物の性質を確認する必要があるという点では自然的なものだ。魔法ですら自然的なものとみなされることが多かった。というのもたとえ悪魔を呼び出す魔法であっても、悪魔は神でない以上超自然的な力を行使することはできないからだ。

 ときに疑いの目でみられながらも自然の力を利用する分野とみなされていた魔術が危険視されるようになった背景には教会の動きがあった。宗教上の緊張が高まった16世紀には、カトリックは悪魔と取り引きを実際にしていたり、悪魔と取り引きしていると思いこむことで迷信を広めていたりした魔術師をきびしく取りしまるようになる。魔術の一部にあった悪魔との関係がクローズアップされることで、魔術全体が宗教的に容認しがたい営みと見なされるようになったわけだ。この結果、悪魔との取り引きに巻き込まれるのではないかという恐れが17世紀の新科学の支持者たちにもひろく共有されることになる。ボイルは自らが譲り受けた賢者の石が、悪魔の力でつくられた可能性を心配していた。ジョン・フラムスティードは紛失物のありかをたずねられ、適当に答えたら偶然本当にその場所で発見されてしまったとき、自らは決して悪魔の力を借りたのではないのだと大慌てで弁明している。

 魔術と距離を取ろうとした学者たちはしかし魔術の伝統から大いに学んでいた。数学的魔術からは機械をはじめとする人工物への関心がひきだされている。数秘学の伝統はケプラーニュートンの思考のうちに存在し続けている。近年の研究は錬金術のうちにある粒子論的物質理解が科学革命期の新たな物質理解を形成するうえで大きな役割をはたしたことを明らかにした。中世の薬草学や動物寓話集成では、動植物が持つ倫理的・象徴的な意味合いが重点的に記述されていた。新科学に植物学と動物学が含められていく過程で、従来あった倫理的・象徴的解説が除去され、動植物の記述だけが残されることになる。原因の一つは、新大陸で発見された新種の動植物には倫理的・象徴的意味を付与することができなかったことにあった。象徴的新大陸の発見は従来の学説では説明できない薬剤をもたらし、これは現在は明らかではない「隠れた原因」から薬効を説明することをうながした。一方「徴」の理論は、魔術の一部として警戒されながらも、世界に神のデザインを見いだす自然神学のうちに取りこまれた。占星術に関しては、数学を基礎にした確実性の要請が高まるにつれて、不安定な判断生成術の排除が進む一方で、予兆の意味をもっていた彗星は新科学のうちで神による世界への介入の道具として再解釈されるようになった。これらの例からは自然魔術の伝統が一部は新科学へ吸収され、一部が排除されていったことが分かる(現代の魔術のイメージは、この排除された領域を魔術の典型例とみなすところから来ている)。

 これらの魔術の断片化と吸収はなぜ起きたのだろう。それは魔術的伝統への関心がそもそも高まったことから来ている。ヘルメス文書が翻訳され、魔術が古代の由緒ある知識とみなされるようになった。人文主義者によるプラトン主義文献の翻訳は、哲学の伝統のうちでの魔術実践の存在を明らかにし、学問的議論のうちでの魔術の位置づけの議論をうながした(たとえばポンポナッツィは悪魔を自然の説明から徹底的に追放しようとした)。医学部では疫病の説明がガレノスの体液説では説明できないことから(なぜ伝染るのか理解できない)、病気を目には見えない隠れた性質をもつ実体によって引き起こされるものとする理解が広まった。この理論は大学学問の主流をなしていたアリストテレス主義を危機に陥れることになる。同じく伝統的学問で批判の的となったのは実体形相論であった。攻撃は化合物理解の局面で起こり、そこで伝統説に代わる説明を提供したのが錬金術の伝統であった。

 結局のところ、魔術的・オカルト的伝統はガレノスやアリストテレス主義の伝統では解けない問題に挑もうとする者がとりえたほぼゆいいつのオルターナティブであったといえる。対抗宗教改革のなか、魔術への警戒感が高まる。そのような時代にあらたな自然理解を模索するものたちは、デカルトのように魔術的伝統を完全に拒絶しはしなかった。むしろその伝統から使えるものを、危険とされる領域とは切り離しながら、自らの思考のうちに取り込むことがなされたといえる。