ルクレティウス注釈における慣性の法則と自然法則 Hine, "Inertia and Scientific Law"
- William L. Hine, "Inertia and Scientific Law in Sixteenth-Century Commentaries of Lucretius," Renaissance Quarterly 48 (1995): 728–41.
ニュートンはルクレティウスの『事物の本性について』を根拠に、古代において慣性の法則が知られていたと考えていた。この説は現在ではしりぞけられる傾向にある。現代的な意味での慣性の法則はデカルトとニュートンによって初めて定式化されたのだというわけだ。これにたいして著者はヨハネス・バプティスタ・ピウスが1514年にボローニャで出版した『事物の本性について』の注釈付き校訂版から、慣性の法則が読みとれると主張する。ピウスはルクレティウスが考える運動を3つに分類する。一つは事物が中心に落ちる自然運動。二番目は重いものがうえに向かって動かされる強制運動。三番目が原子の逸れになる。ここで宇宙の中心を想定している点でピウスはルクレティウス解釈にアリストテレスの宇宙論を混入させてしまっている。別のところでピウス自身が正しく認識しているように、ルクレティウスの宇宙には中心はない。諸原子はそれ自体の重さによって一定の速度で、無限の距離を落下していく。「重いものは、それ自身では(quantum in se est)、上から落下する時、斜めに進みえない」という文言を解釈して、ピウスは重いものが「自らの本性にしたがって、もし外部の力によって邪魔されなければ」と書き記している。ここには妨げられることがなければ、無限に直進運動をつづけるという洞察が示されている。ただし慣性原理が完全に表明されているわけではない。妨げられないかぎり静止状態にとどまるという考えは、すべての原子が動いているというルクレティウスの世界観のもとでは構想できるものではなかった。
ルクレティウスは重いものが落下し続けることは「宿命の掟 foedera fati」であると述べていた。この掟が破られ、自由意志が生じるためには原子の逸れがなくてはならない。この逸れによって宿命の掟が破られることをピウスは、「自然の法則(leges naturales)を変える」と表現している。また彼は重いものの落下を「運動の法則(leges motus)」とも述べている。ここに自然法則の概念史でこれまで見逃されていた事象が確認されるという。これまで自然法則という概念は、神が人間に与えた法という観念が自然に転用されたことから来るか、あるいは16世紀以降光学、数学、天文学の領域で使用されるようになったかという2つの経路が想定されていた。しかしルクレティウス注釈のうちで、神と独立に、自然学の領域で自然法則を認める語彙が整備されて初めていたことがピウスの著作からはうかがえる。フィリップ・メランヒトンが天の動きの法則や運動の法則に言及するとき、彼はルクレティウスへのピウスの注釈をみていたのかもしれない。
ルクレティウス『事物の本性について』へのピウスの注釈からは、科学革命に置いてエピクロス主義の伝統が果たした役割は従来考えられていたよりも大きいかもしれない可能性をしめしていると著者はするのであった。
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