アイザック・ニュートンと太古の知恵 McGuire and Rattansi, "Newton and the 'Pipes of Pan'"

 すでに古典としての地位を確立しているニュートン研究である。ニュートンが『プリンキピア』の改訂のために用意したものの、けっきょくはその内容が改訂版に収録されることのなかった草稿のうちに、「クラシカル・スコリア」と呼ばれるものがある。「クラシカル」というのはそこでニュートンが、ギリシア・ローマの著作のうちに自らが発見した自然哲学の内容が含まれていることを立証しようとしているからだ。ニュートンによれば、空間は無限であり、そのうちですべての物質が互いに引力を及ぼしあっている。この見解は古代人の残した著作に見いだされるという。たとえばルクレティウス『事物の本性について』では、宇宙空間は無限で、そこにはいかなる中心もなく、物質はその質料の量におうじた重さを周辺の物質に向けて持っているという学説がしめされている。この考えをルクレティウスエピクロスからとっている。エピクロスはそれをピュタゴラス派やオルフェウス教徒に学んだ。この知恵はさらにトロイア戦争以前に位置づけられるフェニキア人モスクスにさかのぼっていく。

 ルクレティウス解釈にあらわれているように、ニュートンはすでに古代人が万有引力を知っていたと考えていた。では彼らはそれをいかに語ったのか。『光学』ラテン語版のために用意されたドラフトのなかでニュートンは言う。

物体は離れた距離からいかにして互いにたいして働きかけるのだろうか。原子と真空をみとめていた古代の哲学者たちは重力を原子に帰したが、その働き方については比喩的にしか語らなかった。神を調和と呼び、彼と質料とをパーン神とパーンの笛とであらわし、太陽をユピテルの牢獄と呼ぶことによって(なぜなら神は惑星をその軌道のうちに保っているから)。ここから質料が神性にその運動法則と存在の両方について依存しているというのが古代の見解であったように思われる。

 質料はそれ自体ではまったく受動的であり、神による直接の介入によりはじめて互いのあいだで重力を働かせることができるようになる(この立場には物活論に依拠する無神論を否定するという意味もあった)。この神による質料の活性化は古代人によってパーンが笛を吹くことにより音を出すというたとえで語られた。音楽の比喩が選ばれたことにも理由があった。アポロンのハープの弦は7本あり、これらが調和ある音色を響かせる。同じように神も太陽と6つの惑星を動かすことで調和をもたらしている。しかも音楽の調和と天の調和の双方に逆二乗の法則が見いだされる。このことにも古代人は気がついていた。ピュタゴラスは弦の振動にみられる逆二乗則を天界に適用することで、万有引力の法則をすでに見いだしていたというのだ[ニュートンが音楽からの類推で光を七色に分けたことも想起せよ]。天の調和と音楽の調和は両方とも世界にある究極的な調和の表現であり、この神に与えられた調和は古代人のよく知るところであった。

 すでに古代の段階で神が天や音楽にあたえた調和が発見されており、近年の自然哲学の進展がそれを再発見しつつある。このような観念をニュートンルネサンス以来の伝統から引き継いでいた。同じ考えを近い時代にイギリスで支持していたのはケンブリッジプラトン主義者であり、彼らはニュートンの信念の形成に一役かっていると思われる。とはいえ三位一体の教義を太古にまで決して遡らせないという点で、ニュートンケンブリッジプラトン主義者とは袂を分かってもいた。

 テキストを解釈することで、そこに隠された真理を見いだすという営みは自然哲学以外の領域でも行われていた。錬金術と年代学(預言解釈)である。これら3つの領域には共通する構造がみられる。かつて発見されたが比喩的な形でしか伝えられず、時の経過とともに失われてしまった知恵を、現代の立場から再発見するというものだ。錬金術なら実験、年代学なら実際に生じた歴史的出来事、そして自然哲学では(ニュートンのそれを含めた)近年の発見が、失われた知恵の再発見を可能にしている。

 以上の考察は、ニュートンを近代的科学者と考えることも、「最後の魔術師」(ケインズ)と考えることもできないことを示している。ニュートンにとって古いテキストの解釈は、数学研究や実験の遂行とならんで、その知的活動の中核をしめていた。自然哲学、錬金術、年代学の領域すべてでそれは実践されている。この意味で彼は近代科学者のプロトタイプではない。同時に太古の知恵に信を置いたテキストベースの活動は、彼の時代にはいぜんとして価値あるものとみなされていた。その意味で彼は最後の一人ではない。自然哲学の領域でのテキスト解釈が、彼の学説の正当化を超えて、その学説の形成にまで寄与していたかどうかは現時点では不明である。いずれにせよ、最初の科学者でも最後の魔術師でもない、自然哲学者としてのニュートンを理解しようとすれば、太古の伝統への彼の取り組みを周縁的活動としてしりぞけることは許されない。

メモ

 アリストテレス主義の知性論の起源についてのニュートンの見解。

And to the mystical philosophers Pan was the supreme divinity inspiring this world with harmonic ratio like a musical instrument and handling it with modulation, according to that saying of Orpheus 'striking the harmony of the world in playful song'. Thence they named harmony God and soul of the world composed of harmonic numbers. But they said that the Planets move in their circuits by force of their own souls, that is, by force of the gravity which takes its origin from the action of the soul. From this, it seems, arose the opinion of the Peripatetics concerning Intelligences moving solid globes. But the souls of the sun and of all the Planets the more ancient philosophers held for one and the same divinity exercising its powers in all bodies whatsoever, according to that of Orpheus in the Bowl.