神学のなかの原子論 三浦「中世の原子論」

自立する科学史学―伊東俊太郎先生還歴記念論文集

自立する科学史学―伊東俊太郎先生還歴記念論文集

  • 三浦伸夫「中世の原子論」『自立する科学史学:伊藤俊太郎先生還暦記念論文集』北樹出版、1990年、172–186頁。

 中世の原子論を解説する貴重な論考です。イスラーム世界での原子論は神学的性格を有していました。アシュアリー派の思想家たちは物質、時間、空間、運動をすべて原子からなる非連続的なものととらえました。こうして相互に断絶し、因果関係の鎖を断ち切られた世界を連結するのが神であるとされます。これに対してイブン・シーナー(と彼の見解を要約したガザーリーの『哲学者の意図』)は物体が不可分の原子から構成されることはあり得ないとして、数学的論拠に基づく反論を加えました。

 中世での原子論も神学的問題設定のなかで現れます。ペトルス・ロンバルドゥスは『命題集』のなかで「天使は場所的運動で場所から場所へ移動することができるかどうか」という問題を立てました(bk. 2, distinction 9, question 2)。これは質料を持たずそれゆえ不可分的であるはずの天使が連続的に運動するとなると、通過される空間と移動にかかる時間もまた不可分的なものから構成されることになってしまうという難問を提起したものです。これに疑問にたいして中世の神学者、哲学者たちはそもそも連続体が不可分者から構成されることはあり得るのかというより一般的な問題に答えることで応じようとしました。たとえばドゥンス・スコトゥス幾何学的反駁により連続体が不可分者からなることはあり得ないと主張します。これにたいしハークレイのヘンリーは必ずも説得力を持つわけではないものの、物理的論法を用いて不可分者の存在を擁護しようとしました。

 『命題集』の文脈以外でもアリストテレス哲学の解説の場でも原子論的議論が発展します。それは混合体の構成要素に関する議論です。すべての物体は質料と形相からなる。だがこの前者の質料を一定以上小さくすると、後者の形相をもはや維持できなくなってしまうということが起こる。この最小の終極点において最小者、すなわちミニマ・ナトゥラリアが認められるというのです。このミニマは特定の形相を宿しているという点で、『命題集』で問題となった数学的な意味での不可分者の議論とは性質を異にしていました。ミニマの議論は16世紀にスカリゲルらの手を経て化学現象としての原子という着想につながっていくのに対し、数学的不可分者論(原子論)はジョン・ウィクリフがコンスタンツの公会議(1414年)で同説を支持したかどで罰せられて以後、議論の表舞台から消えていくことになります。

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三浦伸夫「中世の無限論」を収録。