動かされずに動かす霊魂 Scaliger, Exotericae Exercitationes, ex. 307, sec. 13

  • Julius Caesar Scaliger, Exotericae Exercitationes (Paris, 1557), 393r-v (ex. 307, sec. 13), 397r-398v.

 『ティマイオス』でプラトンは、霊魂は自らを動かすと書いている。これにアリストテレスは反論し、霊魂は自らは動かずに他のものを動かすのだと考えた。動くものと動かされるものの関係を考えると、三つの区分ができる。一つは動かされずに動かすものであり、これは霊魂である。動かさずに動かされるものがあり、身体の一部はこれにあたる。最後に動かされて動かすものがある。このうち身体に近いものとして腱があり、霊魂により近いものとして精気がある。ただだからといって精気を動かさねば、霊魂が身体を動かせないと考えるのはまちがいである。精気抜きに霊魂は身体を動かしうる。それは土の形相が何らの道具なしに土の質料を動かすのと同じである。ただし霊魂はきわめて天のようなものであり、また神的なものであるため、それが身体と結合するには精気という触媒を必要とするというだけのことである。

 もしプラトンの見解が、自分を動かさねば霊魂はなにも動かせないということを意味しているならそれは馬鹿げている。同じことが天の知性や神についても言えてしまうからだ。確かに霊魂は認識のさいに変化するとは言える。しかしだからといって場所的な運動を行うわけではない。また身体が成長するとき、たしかに霊魂は新たにできた身体と一体化し、拡張する。しかしこれは身体にともなって付帯的に動いたと考えるべき現象であり、霊魂が自体的に場所的に動いたと考えるべきことではない。